『わたしは目撃者』XYYの悲劇…遺伝子による差別社会への抵抗
『わたしは目撃者』あらすじ 遺伝学研究所での謎多き侵入事件と、所員である博士の列車での轢殺事件。関係者が次々と殺される中、盲目の元新聞記者フランコ・アルノと若き新聞記者ジョルダーニは、決死の覚悟で犯人を追い詰めていく。
わずか3分で起動するサスペンス
ダリオ・アルジェントの映画は、いつだって冒頭からめくるめくミステリーの世界へと誘ってくれる。「動物3部作」(タイトルに動物の名が含まれていることからそのような呼称となった)の2作目に当たる『わたしは目撃者』(71)もまた、ゾクゾクするようなシーンで幕を開ける。 夜の路地を歩く盲目の中年男性フランコ(カール・マルデン)と、姪のローリー(チンジア・デ・カロリス)。黒ハット・黒スーツにサングラスという出立ちのフランコに、赤いブラウスを羽織ったローリーという色彩の対比が素晴らしい。二人は手を繋いでおしゃべりを楽しんでいる。 「泳いで捕まえたと言うから、彼女“と”言ったの」「彼女“に”だ」「彼女“に”言ったの。300メートル潜って鯨捕りだなんて、できるはずがないって。私、正しかった?」「もちろんだとも」。なんの変哲もない会話だが、この内容だけでフランコが博学な紳士であり、彼がローリーにとって大切なメンターであり、彼女も聡明な少女であることが、ものの十数秒で描かれる。 やがてフランコは、車から聞こえてきた妙な言葉に耳を止める。目が見えないぶん、彼は鋭敏な聴覚の持ち主なのだ。「カネは要らない」だの、「皆に知らせるほかない」だの、何やら物騒な会話である。フランコは靴紐がほどけたふりをして、ローリーに車中の人物をそれとなく確認するように伝える。運転席にいた男をはっきりと目撃するローリー。 やがてカメラは、車から遠ざかっていく二人の姿を助手席から捉える。“見られた”人物が“見返す”ことで、フランコとローリーが謎の人物に捕捉されてしまったことを明示している。開巻からわずか3分でサスペンスを起動させる、流麗なストーリーテリング。我々はすっかりアルジェントが仕掛けた魔法にかかっている。 遺伝学研究所に何者かが侵入するものの、何も盗られなかった怪事件。研究職員が突き落とされて列車に轢かれてしまう凶悪殺人。その様子を偶然撮影していたカメラマンも、首を締められて殺されてしまう。一連の事件には関連性があるのか?犯人はいったい誰なのか?フランコはこの謎に挑戦する。 今はクロスワードパズル作りで生計を立てている盲目の中年男性と、聡明な少女。この関係性は、後年制作された『ダークグラス』(22)における盲目のエスコート嬢ディアナ(イレニア・パストレッリ)と中国人の少年チン(シンユー・チャン)に引き継がれる。アルジェント映画で物語の中心に据えられるのは、社会の周縁にいる人々なのだ。