『わたしは目撃者』XYYの悲劇…遺伝子による差別社会への抵抗
XYY症候群=先天的犯罪者説
人間の染色体は、男性の場合はXとYの染色体が1本ずつ、女性の場合はXの染色体が2本という組み合わせがほとんどだが、Yが1本多いXYY染色体も稀にある(男性のみ)。1000人に1人の割合で発生するという、XYY症候群である。かつては、先天的に凶暴な性質を持ち、犯罪者になる可能性が高いと論じる学者もいた。もちろん現在この学説は否定されているが、『わたしは目撃者』はこのXYY症候群=先天的犯罪者説に基づく悲劇を描いている。 映画の主な舞台となるテルジ研究所では、このXYY症候群に関する研究を極秘に行い、その治療薬も開発している。その目的は、将来的な犯罪予防。研究員のひとりは、「凶悪犯罪を根絶したければ、赤ん坊の染色体を検査してXYYの者を隔離すればいい」とまで言い切る。そこから浮かび上がるのは、遺伝子による差別社会だ。 思い出されるのは、アンドリュー・ニコル監督の傑作SF『ガタカ』(97)である。DNA操作によって、優れた知能と体力を有した“適正者”のみが優遇される近未来。自然妊娠で生まれた“不適正者”のヴィンセント(イーサン・ホーク)は、それでも自分の可能性を信じ、宇宙飛行士になる夢に向かって突き進む。この作品で描かれているのは、遺伝子による差別社会へのささやかな抵抗である。 だが『わたしは目撃者』の真犯人は、自分がXYY症候群であることを隠すため、殺人に手を染める。皮肉にも犯人の必死の抵抗は、この遺伝子を持つ者は先天的犯罪者であると喧伝してしまう行為だったのだ。そしてダリオ・アルジェントは、悪性の遺伝子が犯行に及ばせたのか、四面楚歌な状況がそうさせたのかを、はっきりと描かない。まさに、鶏が先か卵が先かのパラドックス。 本作はタイトルこそ『九尾の猫』だが、むしろエラリー・クイーンでいえば「Xの悲劇」と「Yの悲劇」に近似した、「XYYの悲劇」。おそらくロマン・ポランスキーであれば、『反撥』(65)や『ローズマリーの赤ちゃん』(68)のように、登場人物の内面に潜り込むニューロティック・ホラーのような作りにしたことだろうが、アルジェントは遺伝子による差別社会への抵抗を、非常に即物的な演出で描き出す。『わたしは目撃者』は、哀しみと皮肉に満ちた、サスペンス版『ガタカ』なのである。 (*)「恐怖 ダリオ・アルジェント自伝」著:ダリオ・アルジェント、フィルムアート社 参考文献:「ダリオ・アルジェント: 恐怖の幾何学」著:矢澤利弘、ABC出版 文:竹島ルイ 映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。 『わたしは目撃者』 「ダリオ・アルジェント 動物3部作」 11月8日(金)より新宿シネマカリテ、菊川Stranger、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開! 提供・配給:キングレコード+Cinemago ©TITANUS Licensed by RAI Com S.p.A. - Rome, Italy. All Rights Reserved.