彼に感じたのは、怒りや憎しみよりも哀れみ――記者会見での性加害告発から4か月、カウアン・オカモトが語る自身のルーツと生き方
しかし、そう簡単には馴染めなかった。 「小学生のときにはもう、文化の違いを感じてました。たとえば、ブラジル人は意見をストレートに話すんです。日本人が言えないところを言っちゃったりするから、『こいつ何だ』ってなっちゃう」 日本で生まれたが、育ったのはブラジル人の家庭だ。身についた考えやふるまいはどうしてもブラジル流になる。ポルトガル語に加えて日本語を話せるようになっても、クラスにうまく溶け込めなかった。
「小さいことで言うと、『あの番組見た?』みたいな話に乗れない、流行ってるものが分からないんですよね。親が見てないから。親から日本のこと一個も教わらないじゃないですか。お年玉をもらったこともなかった」 学校でみんながお年玉をいくらもらったかで騒いでいても話に混ざれない。節分がなんなのかもわからない。孤立していた。日本語は話せても読み書きは苦手で、勉強からは落ちこぼれた。クラスのみんなに認められたくてスポーツを頑張ると「ガイジンだから運動神経がいいんだ」と言われた。
日本人になりたいのに、なれない。自分が何者なのかわからない毎日の中で、日課のようになっていたのは親の通訳だ。学校からの通知をはじめ、病院や役所での手続きもカウアンが付き添い、大人たちを相手に通訳をこなした。 「小1とかでもう親より日本語がしゃべれちゃってたから。あまり一般的な家庭じゃないですよね。自分がしっかりしなきゃって気持ちはいつもありました」
NARUTOにめっちゃ救われた
支えになったのは音楽だ。いちばんのきっかけは小田和正の『言葉にできない』。TV CMのテーマソングだった。結婚や出産、闘病といった、普通の人たちの人生を紹介するもので、そのバックに流れていた。涙があふれた。 中学に進み、思春期に入ってから心酔したのはジャスティン・ビーバー。ドイツ、イギリス、アイルランド、フランスのミックスで、公営住宅育ちという境遇にシンパシーを感じた。YouTubeに歌の動画をポストし続けるうちに有名になり、世界的大スターに駆け上がったという存在に憧れた。