【古代史の真相】あえて日本書紀がふれなかった「赤っ恥」の記録 「外交ミス」も… 遣隋使がはじまった「本当の理由」
第一次「遣隋使」派遣は、倭国にとって、自らの至らなさを思い知らされた不甲斐ないものであった。新羅(しらぎ)との外交交渉を有利に運ぼうとの目的も果たせず、相も変わらず翻弄されるばかり……。それにもかかわらず、『日本書紀』には、「新羅を降伏」させたという意気揚々とした様相が記されている。実際には何があったのだろうか? ■大恥をかいた第一次遣隋使派遣 推古天皇8(600)年がどんな年だったのか? 言うまでもなく、第一次遣隋使が派遣された年である。送り込まれた遣隋使たちも、先進国である隋の文化を吸収できるとの希望を胸に、ワクワクした思いで渡海していったに違いない。 しかし、その成果は芳しいものではなかった。このときの使者が、衣冠を身につけるという最低限の礼儀さえ知らなかったばかりか、「天をもって兄とし、日をもって弟とする」との奇妙な論理を振り回したことで、文帝から失笑を買ってしまったからである。 そして、「義理をわきまえろ」とばかりに、諭される始末。結局、大恥をかかされただけで終わってしまったからなのか、正史である『日本書紀』には、その派遣記事自体、記されることはなかった。 それでも、這々の体で帰国の途に就いた使者からの報告を受けた聖徳太子こと厩戸皇子が、すぐさま冠位十二階(603年)や十七条憲法(604年)の制定に動くなど、国家としての体裁を整えることに意を注いだことは注視すべきだろう。 文化的に後進国であったことに、あらためて気づかされて大恥をかいたとはいえ、これが契機となって国家としての体裁が整い始めたのだから、「良かった」と言うべきなのかもしれない。 ともあれ、ここで問題にしたいのは、遣隋使派遣の「事業そのものの目的」についてである。前述のように、この派遣の目的が、先進文化に触れるというところにあったことは言うまでもないが、実はもう一つ大きな目的があったことも忘れてはならない。 それが、倭国と新羅の外交問題に関することであった。手っ取り早くいえば、「大国・隋の後ろ盾を得て、対立する新羅をギャフンと言わせてやろう」との魂胆であった。 ■利権を守るべく、新羅を押さえつけようとするも… 当時の倭国は、朝鮮半島南部の小国連合ともいうべき任那(みまな/加耶とも)との関係が親密であった。さかのぼれば、天孫族(天皇の祖先)の故郷と言われることもある重要なところである。もちろん、当時の朝廷との経済的なつながりも大きかった。倭国が任那に対し、何らかの利権を有していたことも、おそらく間違いないところだろう。 ところが、562年に任那が新羅に攻め込まれて滅んでしまったから、倭国としては困った。これまで手にしていた利権が失われてしまうわけで、手をこまねいて傍観するわけにはいかなかった。当然のことのように半島へと兵を送り込んで、任那再建に手を貸したことは言うまでもない。その結果、時には新羅を屈服させたこともあったようだ。 最終的な成果は、決して芳しいものとはならなかった。新羅が何度屈服させられても、倭国が兵を引き上げる度に、任那への侵攻を繰り返したからである。 そこで、業を煮やした倭国が頼みの綱としたのが、大国・隋である。その権威を傘に、新羅をしっかりと押さえつけようとの魂胆であった。 しかし、前述のように、その思惑は外れた。後ろ盾を得るどころか、バカにされて這々の体で追い返されたのだからたまらない。振り返れば、朝鮮諸国の方が、先に隋に朝貢済み。すでに冊封されているという状況である。 となれば、軍事力はともあれ、対外的には、三国の方が冊封を受けている分、倭国よりも格上ということになってしまうのだ。さらに文明の度合いも、倭国より優れていたことを知らしめられて、愕然としてしまった。帰国後に使者から報告を受けた厩戸皇子の、焦った姿が目に浮かんできそうだ。 ■『日本書紀』には「新羅を降伏させた」と記述 ちなみに、『日本書紀』推古天皇8年の条には、境部臣(蘇我馬子の弟か)が大将軍に任じられて1万余りの兵を率いて進軍。新羅の5つの城を攻略したことが華々しく記している。挙句、「降伏させた」と、自慢げである。 この記事だけから判断すれば、あたかも倭国が新羅を降して意気揚々としている姿を思い浮かべてしまいそうだが、実情は異なる。意気揚々どころか、何度も新羅に煮え湯を飲まされて、むしろ翻弄され続けていたというべきだろう。 しかも、前述のように、新羅は倭国よりも先に隋への朝貢を終えて冊封されている。これに兵を差し向けるということは、大国・隋に矢を向けることとも捉えかねない。となれば、倭国としては、大々的に兵を差し向け続けるというわけにもいかなかったのだ。なんとも身動きの取りにくい状況である。 となれば、『日本書紀』の記述は、正しいとは言いがたい。これもまた、「粉飾」というべきだろう。
藤井勝彦