娘を突然殴りつけた夏目漱石が陥った異常心理とは
帰国後に突然、娘を殴りつけた漱石
どうにか帰国した漱石を、妻の鏡子が神戸まで迎えにいくと、特別に変わった様子もない。ほっと一安心していると、家に戻って4日目に不可解な行動を見せた。 娘と火鉢に当たっていた漱石は、火鉢の縁に銅貨が載せてあるのを見るや、だしぬけに娘を怒鳴って殴りつけたのである。理不尽な仕打ちに娘は泣き出し、妻の鏡子にも理由がさっぱりわからなかったのだが、よくよく聞いてみると、次のような思い込みから出た行動だとわかった。 以下は、妻鏡子の口述筆記による『漱石の思い出』からの引用である。 「ロンドンにいた時の話、ある日街を散歩していると、乞食があわれっぽく金をねだるので、銅貨を一枚出して手渡してやりましたそうです。するとかえってきて便所に入ると、これ見よがしにそれと同じ銅貨が一枚便所の窓にのってるというではありませんか。 小癪(こしやく)な真似をする、堂々下宿の主婦(かみ)さんは自分のあとをつけて探偵のようなことをしていると思っていたら、やっぱり推定どおり自分の行動は細大洩(も)らさず見ているのだ。しかもそのお手柄を見せびらかしでもするように、これ見よがしに自分の目につくところにのっけておくとは何といういやな婆さんだ。実にけしからんやつだと憤慨したことがあったのだそうですが、それと同じような銅貨が、同じくこれ見よがしに火鉢のふちにのっけてある。いかにも人を莫迦(ばか)にしたけしからん子供だと思って、一本参ったのだというのですから変な話です」 銅貨をみて子どもを殴りつけたという行為には、漱石なりに理由があったのだが、そこには根拠の乏しい推定や、まったく無関係な過去の出来事との混同といった、事実を歪曲した認識がみられる。 漱石のような優秀な知性の持ち主であっても、明らかな矛盾や誤謬(ごびゆう)に気づかず、そう信じ込んでしまうのである。 極めて明晰な頭脳をもつ人さえもが、明らかに誤った推論に陥ってしまうのはなぜなのだろうか。 こうしたケースを数多くみてきて言えることは、自分が貶められているという結論が先にあって、すべての出来事が解釈されるということである。「すべての人間は私を莫迦にしようとしている」という結論があって、目にするすべての出来事が、その根拠として解釈されてしまうのである。 漱石は、その後もときどき被害妄想にとらわれ、妻や子どもに怒鳴ったり、女中を辞めさせたりするようになる。 だが、漱石の精神はすっかり破綻していたわけではない。というのも、漱石が次々と作品を書き、作家として名を成すのは、こうした漱石の被害妄想が始まって以降のことだからである。
TEXT=岡田尊司