コンビ結成31周年! 「あたりまえ体操」COWCOW "海外バズ"の先駆者が語る海外進出の壁の高さ
劇場やネタ番組、TikTokと幅広い場所で注目を浴び、世代や国境を超えて人気を獲得してきたCOWCOWの多田健二と善し。今年コンビ結成31周年を迎えた彼らに、東京進出後の苦労話、「あたりまえ体操」の誕生秘話、本格的に海外進出しなかった理由など、率直な思いを語ってもらった! 【写真】コンビ結成31周年! COWCOW ■暗黒期を脱せたのは今田耕司さんのおかげ ――今年でコンビ結成31周年ですが、今振り返って一番大変だった時期は? 多田 僕ら結成から7年ぐらいは大阪で活動して、新人賞とかを3個いただいて、満を持して2001年に上京したときにちょうど『M-1グランプリ』が始まったんです。「こんなん俺らのための大会やん!」と思ってたんですけど決勝に行けなくて。 2回目も準決勝止まり、3回目が当時の規定で結成10年目のラストイヤー。そこでも決勝に行けず、敗者復活戦で「ここで行くパターンか......?」と思ったらアンタッチャブルが選ばれて。そこから一番苦しい時代が始まりました。 善し 『M-1』は上京してすぐ始まったから、本当にベストタイミングでした。勢いもあったしネタもあるし、第1回の事前番組にも呼ばれたから、決勝に出られるもんだと完全に余裕こいてました。 多田 最後の『M-1』が終わった後、相方がルミネtheよしもとの楽屋で「こりゃヤバい!」って悲鳴を上げて(笑)。当時、事前に1ヵ月分のスケジュールをもらってたんですけど、本当にポツ、ポツ、ポツと4個ぐらいしか仕事入ってなかったんです。 善し 心の叫びですね(笑)。ひと目でだいたいの収入もわかるじゃないですか。『M-1』も出られないし、テレビに出るつもりで上京したのに「これどうすんねん......」みたいな不安でいっぱいでした。 多田 劇場もテレビも営業も『M-1』で活躍した芸人を呼ぶから、僕らの仕事がどんどん減っていくし。異国の地・東京で目指すものがないって怖さもありました。もちろん劇場はあったので新ネタは作ってたけど、テレビで披露する機会がない時期が4年ほど続いたんですよ。 善し それで僕が『R-1ぐらんぷり』(現『R-1グランプリ』)にチャレンジし始めたんです。それが06年。当時は『キングオブコント』(08年~)もないから、それしか出るものがなくて。