コンビ結成31周年! 「あたりまえ体操」COWCOW "海外バズ"の先駆者が語る海外進出の壁の高さ
多田 相方がひとりで挑戦し始めたから「ヤバいな」と思って、「ピンの戦いだけど、同じものに挑戦してる」という意識で僕も挑戦するようになりました。 そんなさなか、07年に『やりすぎコージー』(テレビ東京)の"劇場番長"って企画に出たんです。番組MCの今田(耕司)さんが「テレビにはそんな出てないけど、劇場で活躍してるコンビ3組を呼ぼうと思ってる」と僕らを推してくださって。 当時、僕は頭にラインを入れたりネックレスしたりして完全にヤサグレてたんですけど(笑)。ありがたいことに収録現場のお客さんがすごく笑ってくれて、それを見た『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)のスタッフさんが番組に呼んでくださったりもしてくれて。だから、暗黒期を抜け出せたのは今田さんのおかげなんです。 ――うまくいかない時期に揉めたりしたことはなかったんですか? 多田 相方が08年から4年連続で『R-1』決勝に行ってるときは、ちょっと微妙でしたね(笑)。うれしい半面、「やっぱボケのほうが目立ってないとダメ」って気持ちもあったし、それがコンビとしてのバランスだと思ってたので。ただ、12年に奇跡的に僕が優勝したので結果オーライっていう(笑)。そこでようやくコンビの帳尻が合った気がします。 ■はやりそうだと第一印象で感じた「あたりまえ体操」 ――漫才、コント、ギャグなどネタのレパートリーが豊富ですが、リズムネタも若手時代から得意だったんですか? 多田 デビュー当時からリズムを取り入れた漫才や歌ネタも躊躇なくやってました。この世界に入ってからずっと「どうやったらまねしてもらえるか」ってことを常に意識して作ってます。 善し 僕も「どうやったら一般の人に伝わるか」ってことはすごい気にしますね。 多田 相方はそのセンスが抜群なんです。高校生の頃から僕らもテレビで見たものをまねしていたので、「自分らのネタもまねしてやってほしい」っていう気持ちが強いんでしょうね。 ――「あたりまえ体操」は、まさにそういうネタですよね。 多田 実はあれ、もともと「あたりまえ説明書」っていう僕のピンネタで、それを見た相方に「音をつけて"あたりまえ体操"にしよう」と言われて生まれたんです。初めて聞いたときから、平仮名と漢字を組み合わせた字面もかわいいし、「それ、はやりそ~!」と思ってました(笑)。 ただ、当たり前のことを言うだけのネタって他人が見たら面白いのかなとは疑問に思って。それで、当時小学生だった相方の子供に体操のお兄さんみたいな衣装を着て撮った「あたりまえ体操」のVTRを見てもらったんですよ。