原辰徳27歳が婚約で、なぜか中日・落合博満に電話殺到「原に“おめでとう”と言いたい」…ウワサされた「落合ダイエー入り」FA移籍前夜の騒ぎ
40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。 あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売1カ月で3刷重版と売れ行き好調だ。 その書籍のなかから、「落合“FA移籍前夜”の騒ぎ」を紹介する。「オレも3億円だ」とまさかの年俸調停し、「落合ダイエー入りか」と騒がれた。【全2回の後編/前編も公開中】 【貴重写真】スーツ姿がカッコイイ落合博満「サインください!」“あの人”におねだり&「タキシード姿」原辰徳28歳の結婚式見たことある?などすべて見る(20枚超) ◆◆◆
原辰徳の婚約で…落合家に電話殺到
叩き上げの異端児・オレ流と、エリートのアイドル・若大将―。その生き方の違いから水と油のようにも思えるが、実は86年5月、原が6歳年上の女性と婚約発表すると、落合家にはマスコミから電話が殺到した。9歳年上の妻・信子に姉さん女房の先輩として、各社がコメントを求めたのである。 落合本人も「週刊宝石」の自身の連載「三冠王落合博満の広角フリートーク」内で、野球選手の姉さん女房について、「家庭がちゃんとしてなかったら、おちおち“出稼ぎ”にも行けない。このあたりは、単身赴任のサラリーマンの心境にも似ているんじゃないの。(中略)そういう意味でも、今回の婚約は、原にとってものすごくいいことだし、遅ればせながら『おめでとう』と言いたいね」とお祝いの言葉を贈っている。
「落合放出」「落合ダイエー入り」
1992年7月には、その原が任期満了に伴い、労組選手会の会長職を退き、阪神・岡田彰布が3代目の会長に就任。運営委員に名を連ねたのが、西武・石毛宏典、原、そして落合の3名である。形の上では、落合と原は共闘関係にあったが、落合は選手会が実施したアンケートの年俸欄に「脱会します」とだけ書き、選手会そのものから去り物議を醸す。しかも腰痛の悪化で92年シーズンは精彩を欠き、打率・292、22本塁打、71打点で無冠に終わり、チームは最下位に低迷。プロ15年目で初の減俸となった。 にわかにその去就が注目され、夏場にはサンケイスポーツが「落合放出」と一面で打ち、東京スポーツは「落合ダイエー入り」と書き立てた。 この頃、周囲から見たら、背番号6は名古屋でもう証明するものはないという状況だったのも事実だ。公約通り中日をリーグ優勝に導き、4度目の三冠王こそならなかったが、「球団はキミのタイトルを買っている」と契約更改で求められると、多くの打撃タイトルを獲得してみせた。自分をトレードで連れてきた星野仙一監督も91年限りで辞任している。これまで、常に“三冠王”を公言してきたが、39歳を目前にした今、現実的な目標としてはそれも難しくなりつつあった。これから、落合は何を追い求めて野球をするのだろうか。 ただの石ころから、光り輝くダイヤモンドになってやるさ―とバット一本で頂点に上り詰めたが、実際にてっぺんに辿り着いたら、その旅は終わってしまう。すでにプロ入り時に夢見た、大金も名声も手に入れた。来年、男は40になる。「週刊ベースボール」1992年9月21日号では、こんな特集記事が組まれている。 「落合博満(中日)は、どこへ行く!?」と。 その直後だ。1992年秋、球界に激震が走る―。オレ流が死にたいくらいに憧れた男、長嶋茂雄が、12年ぶりに巨人監督に電撃復帰したのである。
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