「土地が高くなりすぎて」…黒門市場がインバウンド観光地になるしかなかった「悲しい理由」
大阪の日本橋にある商店街・黒門市場。昔から大阪の台所として知られるが、ここが近年「インバウンドのぼったくり商店街」と報道されることが多い。その実態はどうなのか。前編では、SNSやメディアでの報道の乖離と、市場が行う「地元の人」のための取り組み、そして現在の市場が抱える問題点を聞いてきた。 【写真】“インバウン丼”で話題の豊洲「千客万来」の意外な光景 今回は、そんな問題を生み出した黒門市場の歴史と、その結果生じたインバウンドと商店街の複雑な関係に迫る。お話を伺うのは前回同様、黒門市場商店街振興組合理事長の迫栄治さんと、事務長の國本晃生さん。
テナントのバランスを崩す地価の上昇
前回、商店街内のテナントが圧倒的に飲食に偏っていることを書いたが、その理由は市場の地価の高さにある。飲食ぐらいの利益率がないと、その地価に対応できないのだ。 ここ数年、黒門市場の地価は上昇。数年前には、時価の上昇率が全国で2位になったこともあるという。 「だから、それぞれの店もある程度高い値段を付けないとやっていけないんです」と國本さん。 しかし、黒門市場はどうしてここまで地価が上がったのか。その歴史をお二人に尋ねてみた。 黒門市場は、もともとその周辺にある料理屋やバー、クラブなどの料理人が仕入れに来る市場で、観光するような場所ではなかった。長く黒門市場に住む迫さんが当時を振り返る。 「40年ぐらい前ですが、当時の料理屋は、みんな住み込みで働いていたんで、彼らのまかないも、料理屋のお手伝いさんが買いに来てくれていたんです。それですごくにぎわっていて、外国の人はいなかった。半分は業者で、半分は地元の人、という感じでした」 しかし、時代が下るにつれて、周辺の店も変わってくる。 「だんだん、料理屋なんかも無くなっていって、周りに大きな商業施設もできて小さい店舗がなくなってくる。大きな会社だと住み込みなんて制度はないから、黒門市場の需要は下がる。それに、近隣の人口も減ってきて、商店街がだんだん衰退してきたんですよ」