今の能登を知り、これからの能登を考えよう!「ESqUISSEコラボレーションチャリティイベント NOTO NO KOÉ」をレポート
――クリスさん「炊き出しの様子が『The Japan TimesS』に掲載されましたね」 ――池端シェフ「はい。細かく取材してくれて内容の濃い記事で、特に料理人の絆について書いてくれたのはうれしかったです」 ――平田シェフ「僕の店や自宅付近の建物はほとんど無事でしたが、歩いて5分も行くと地割れしていて家は倒壊していました。店の食器棚やワインセラーが倒れて、ワインは200本くらい、食器もかなり割れてしまいました。うちも2日から冷蔵庫にあった食材でカレーを作り近隣の人に配りました」
――クリスさん「記事に平田さんも出ていらっしゃいましたが、料理人同士の連絡は取れていたのですか?」
――平田シェフ「携帯はほぼ圏外でしたが電波が入る場所を見つけたらすぐにあちこちに連絡していました。うちのソムリエが熊本地震の時に金沢の料理人たちとチャリティ団体を作っていたので今回そのチームが中心となって支援のことや被害状況など情報交換してくれました。あとはそれぞれがSNSで発信して状況を知らせていたので、それを見た料理人仲間が手伝いに来てくれたり、物資を送ってくれました」
――クリスさん「地震直後と数カ月経ってからでは必要なものが変わってくると思いますが」
――池端シェフ「最初は命をつなぐための食事なのでレトルトやカップ麺でも良いとしても、輪島は高齢者も多いので1週間も経つと高血圧など健康に問題が出ました。ですからすぐに薄味に変えました。報道では料理人が一致団結して企画したかのようでしたが、お話ししたように連絡は取れていなかったので個々が持ち寄って小グループごとに炊き出ししていました。平田さんと会えたのも2月に入ってからでした」
――平田シェフ「僕は七尾市の指定避難所で炊事運営に携わっていました。料理ができる人はたくさんいたので、僕は手元にある食材をうまく回すことや炊き出しの環境を整えたり、衛生管理などに注力していました。池端さんと同じで昼に牛丼と豚汁、夜に牛カルビカレーといったように体調を考えない献立だったので、その辺りのコントロールをしました。