香坂みゆき 欽ドン!の美少女、還暦から始まるキャリア「てっぺん取ったことないから続けられる」
今月還暦を迎えたタレントの香坂みゆきが、アグレッシブに活動を展開している。1975年、萩本欽一司会のバラエティ番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(欽ドン!)のマスコットガールとして人気を博し、その後14歳でアイドル歌手デビュー。人生100年時代といわれる今、過去の全曲を配信にのせるなど還暦から新たなチャレンジをする香坂に聞いた。
14歳で歌手デビュー ただ毎日が進む日々に悩み
キャリアのスタートは3歳までさかのぼる。横浜でモデル事務所にスカウトされ、モデルデビュー。小学館の学習雑誌の表紙を飾ったり広告などで活躍していた。 「モデル時代の最後が『欽ドン!』。もともと南沙織さんやカーペンターズのファンで、歌手になりたかったんです」 1977年、14歳の時に念願かなって歌手となり、『愛の芽生え』で本格的に芸能界デビューを飾るとキュートなルックスで“ビーバーちゃん”と呼ばれ人気を博した。当時のアイドルファンで香坂の名前を知らない者はいないだろう。3ヵ月おきにシングルをリリースすることが当たり前の時代、スケジュール帳は埋まり多忙な日々を送るようになる。 「ゆっくり考える暇もなくレコーディング当日に歌を覚えて音を入れて、数日後にはキャンペーンでレコード店めぐり。曲の中身もよく咀嚼できていない状況の中で、ただ毎日が進んで行きました」 歌を歌いたくて歌手になっただけに、置かれた環境と理想とのギャップを子ども心にも感じていたと振り返る。 「当時アイドルと呼ばれていた(山口)百恵ちゃんや(桜田)淳子ちゃん、キャンディーズ、ピンク・レディーとかに憧れて、ああいうきらびやかな世界だと思って来たのに、そこに辿り着くまでにはたくさん違うこともやらなきゃいけないってことに直面したと思います。いま思うとそのギャップもしょうがないよね、と思えますが、子どもには辛いこともいっぱいあったなって。挫折しちゃう人も多かったでしょう」
好きな歌を歌っても売れなかったジレンマ
アイドル人気も落ち着きを見せた頃、80年代に入ると音楽に取り組む時間を持てるようになった。ニューミュージック系のディレクターのもと、自身が曲に携わりながら地方のライブハウスをまわって歌うことも始めた。そんな中から1984年8月にリリースした『ニュアンスしましょ』が資生堂化粧品の秋のキャンペーンCMソングに採用され、自身最大のヒット曲となった。 「あの時は『あっ、私売れてるのかな』とも思いましたが、それも一瞬の出来事。私自身はこれまでのキャリアを通して自分が売れているという感覚は味わったことがないです」 1989年の21枚目のシングル『神無月にかこまれて』を最後に、いったんマイクを置く。 「歌うことは仕事にならないという残念感からやめたイメージがあります。好きな歌を出しても売れなきゃダメなんだけど、どうしたら売れるかもわからない。これじゃ仕事として成り立たないよね、ってジレンマがあったと思います」 その後はドラマや映画などの俳優業、バラエティ番組の司会やキャスター、コメンテーターといった仕事に力を入れるようになる。 「要は、私にはお芝居の仕事があるからいいのって、そこに逃げた感覚があったと思います。でも自分の努力が報われて評価された時期もあって、いいドラマの配役に選ばれたり、2時間ドラマにも主役級で出していただいたり、昼ドラのヒロインになってみたり、それなりの手応えはありました」