犯罪を繰り返した58歳の知的障害者が「ぼく、やっぱり戻りたい」と語る支援施設 近隣は反対、行政は圧力…それでも受け入れ続けた
その後の支援はいっそう監視的となり、彼の行動を細かく制限した。グループホームでは、生活する彼が1番勝手を知っているのに、郵便物をポストに取りに行くことを「世話人の仕事だから」と断られた。次は冷蔵庫を空けていいのかどうかが分からなくなり、頭の中がパニックになった。 Yさんの不穏さは収まるどころか極限まで高じ、その2カ月後に大変な事件を起こしてしまう。2016年3月のことだった。 ▽「再犯を許した」と見切り 日中いきなり施設を飛び出すと、近くのバス停から路線バスに乗り込み、前に座る高齢女性の首を絞めた。ケガは軽くて済んだが、殺人未遂罪で逮捕(後に傷害罪で起訴)。事件の一報を受けたゆうとおんや考える会のメンバーは、積み上げてきたものがすべて崩れ去ったショックと無力感で絶望した。ゆうとおんに戻ってきてもうすぐ1年を迎えるところだった。 この人にはもう地域生活は無理ではないか、と思わせる事態だった。それでも、支援者らは諦めなかった。公判では、ゆうとおんは出所後も再び受け入れる用意があるとする更生支援計画書を提出し、採用された。判決は懲役1年2カ月だった。
一方、再犯防止を第一に掲げる行政や刑務所側、触法の専門家たちは、「再犯を許した」ゆうとおんの支援力に見切りをつけた。服役後に生活する場所が見つからない障害者らが対象になる「特別調整」の制度に乗せ、ゆうとおんとは別の受け入れ先を探し始めた。ゆうとおんや考える会のメンバーは、刑務所でのYさんとの面会を拒否された。 Yさんは閉ざされた環境で「あなたはゆうとおんと別のところで暮らしたほうがよい」と説得され、動揺していた。再び犯罪をしてしまった自分にすっかり自信を失い、「僕もその方がいいと思う。他のところでがんばろうと思う」と手紙でゆうとおんに伝えてきたこともある。だが、本音では納得していなかった。この頃から刑務所内でのトラブルが多くなり、懲罰を繰り返し受けている。 ▽「人権問題」と救済申し出 結局、満期出所後も受け入れ先は見つからず、いったん精神科に入院に。病院内でもYさんは荒れて暴力行為を繰り返した。こうした状況を「本人の粗暴性が顕わになっている」と評価する関係者もいた。しかしYさんに寄り添って考えれば、ゆうとおんに戻りたい気持ちと裏腹に自分の望まない生活を強いられ「納得がいかないこと」が、行動化につながっていることは明らかだった。