犯罪を繰り返した58歳の知的障害者が「ぼく、やっぱり戻りたい」と語る支援施設 近隣は反対、行政は圧力…それでも受け入れ続けた
「ぼくはゆうとおんに戻りたい」という本人の意思が、触法の専門性や「再犯防止」の金科玉条の前にゆがめられ、ないがしろにされていた。 ゆうとおんはこうした状況を重くみて、大阪弁護士会に「人権問題ではないか」と救済を申し出た。弁護士が病院にいるYさんに電話を入れ事態が動き始めると、行政側は対応を変えて、最終的にYさんをゆうとおんに戻すことで了承した。 特別調整を取り仕切っていたのは地域生活定着支援センターと呼ばれる機関だ。刑務所から地域に戻る際の「出口」支援の重要性が言われるようになり、センターは全国の都道府県にできた。矯正施設と地域の福祉をつなぐ役割を彼らが担い、出所者らの生活を支えていることは事実だ。 しかしYさんのケースで言えば、センターはゆうとおんが彼にとってかけがえのない場所であるとの観点が欠落していた。専門的なノウハウがあるというのであれば、なぜ、ゆうとおんの支援をバックアップする方向性が取れなかったのかと思う。
▽「今度こそは」と深める自信 Yさんが2018年に二度目となる地域に戻ってから6年以上がたった。前回の失敗を踏まえ、ゆうとおんでは、細かいルール設定を全てやめている。雑多な環境になるとトラブルが多いYさんのために、利用者と支援者5、6人程度が集う小さなユニットの作業場をつくった。一番大きく変わったのは、彼の支援のことは彼なしで決めないようにしたことだ。週に1回、本人を交えた上でチームで生活を振り返る「チーム会議」を実施。どんなことを考えているか、どういう生活をしていきたいか話し合い、反映させる。危機時の対応を定めたクライシスプランも本人と一緒につくった。 現在のYさんは、50代という年齢もあるが、抗精神病薬を多く処方され、一度目の地域移行の時と比べて体力は格段に落ちている。歩いていても足元がふらつき、ろれつが回らない。作業のスピードも緩慢だ。 この6年間には新型コロナウイルスの流行もあったが、生活ぶりはぶれず、淡々としたものだ。トイレに行くにも、ご飯を食べるにも時間通り。自分のルーティンや所作も狂いなく踏む。自由時間はベッドで寝そべり、テレビで野球や相撲を観戦するのがささやかな楽しみ。ここまで丁寧に生きている人もいないのでは?と思う。