【追悼】最後の「生粋の無頼派」福田和也は、いったい何者だったのか 瞬く間に「文壇の寵児」「保守論壇の若きエース」に急成長したが
■華々しくも、太く短い人生だった 福田和也が、63歳の若さで逝った。 年を取りにくく、しかも容赦なく老いとの戦いを強いられるのが現代人の宿命だ。それは近代日本にとって未曾有の、戦争のない約80年という歳月の報いなのかもしれない。 【写真で見る】文壇に激震が走り、物議を醸した『作家の値うち』を上梓した2000年頃の福田和也氏と、話題を呼んだ著作の数々 彼は才能溢れる文学者として、この宿命を自らの業(ごう)として孤独に引き受け、誰に追い抜かれることもなく、迅速に彼岸まで駈け抜けていった。 8歳年下の福田に、死の跫音(あしおと)が近づいていることを、私はかなり以前から察知していた。この間、激やせ廃人説から、復活待望論まで、様々な風評も耳に入ってきていた。
これはいけないと思ったのは3年前、『福田和也コレクション1 本を読む、乱世を生きる』(KKベストセラーズ)の書評(『週刊読書人』)を担当した時だった。 その本の帯文の最後に、「われ痛む 故にわれ在り」という不吉な一行があり、それが「あとがき」さえ書けなくなった彼の、ラスト・メッセージかと疑ったからである。 全3巻の予告のあった同コレクションは結局、この一冊が出たきりで続刊は途絶えている。 思えば華々しくも、太く短い人生だった。
最初に出会ったのは、新宿の文壇バー「風花」で、彼は『日本の家郷』(新潮社)で三島由紀夫賞を受賞した直後だった。 挨拶は交わしたが未読だったので、早速一読して感服したことを店主の滝澤紀久子さんに伝えると、向こうから「会いたい」という伝言があって付き合いが始まった。 この本は全168ページと小ぶりながら、古典論から現代小説、果ては批評の原理にまで及ぶ本格派に相応しい一冊で、私は柄谷行人以来の大物の出現を疑わなかった。
ただそれ以前に、福田は『奇妙な廃墟』(国書刊行会)という恐るべき処女作を世に問うている。ナチズムにコミットした、フランスのコラボトゥール(対独協力作家)についての研究書である。 ■「文壇の寵児」「保守論壇の若きエース」に急成長 彼はこの本を方々に送り、首尾よく柄谷行人や江藤淳の眼に止まった。後に彼は、「ちくま学芸文庫」版の「あとがき」でこう述べている。 「本書は、私の最初の文芸評論である、と同時に最後の研究論文でもある」と。そして、「アカデミズムのキャリアを執筆の途中で断念というより放棄してしまった」ことも、書き添えている。