【追悼】最後の「生粋の無頼派」福田和也は、いったい何者だったのか 瞬く間に「文壇の寵児」「保守論壇の若きエース」に急成長したが
文壇、論壇からの福田和也の事実上の退場が、それから何年先のことだったかは、いまや朧気である。 少なくとも私は、疎遠になったとはいえ彼の『昭和天皇』(全7部、文藝春秋)を、一読者として遠望はしていた。 体調を崩した後の彼は、私の仕事など見向きもしなかっただろう。互いの著書の交換も、賀状のやり取りも途絶えて久しい。 ■実に生真面目で真摯な「無頼派」だった 訃報に接し、俄に甦ってきた若き日の福田の言説に、例えば次のようなものがある。
ピエール・ユージェーヌ・ドリュ・ラ・ロシェルは、生涯を通じて放蕩者だった。かれは第一次世界大戦の兵役とドイツ占領時代の「NRF」誌編集長をのぞいて一度も生業につかず、その一生を、女性のベッドを渡り歩きあるいは女性を自分のベッドに誘うことで過ごした。 (『奇妙な廃墟』第4章より) 私はドイツの降伏を前に自殺したこの作家を、ルイ・マル監督の映画『鬼火』の原作者(邦訳は『ゆらめく炎』)として知っていた。
ちなみにこの章のサブタイトルは、「放蕩としてのファシズム」である。私は福田の「放蕩」の軌跡を、具体的に何も知らないが、彼が実に生真面目で真摯な「無頼派」であったことは知っている。 無頼といっても、もはや、太宰や安吾の時代のそれを、私たちは再演すべくもない。 だが無頼の真意が、いたずらに高踏的な知性への反逆に根ざしているとするなら、福田和也こそは、西欧的な「文明の思考」の向こうを張る、「野生の思考」(レヴィ=ストロース)にたけた生粋の「無頼派」であったことを、私はつゆ疑わない。
一足先に61歳で逝った、福田の『en-taxi』誌の同人仲間・坪内祐三は、その意味で時代錯誤的に旧態依然たる酔っ払いであった。彼が生き急いだのか、死に急いだのか、私にはわからない。 だがそれにしても、かくも年をとりにくい時代に、老いと戦わねばならないということは、何と矛盾に満ちて辛いことか。 45歳で命を絶った三島由紀夫(来年、生誕100年になる! )も、46歳で癌に斃れた中上健次も、どこかで早すぎた老いに追い抜かれた感を拭えない。