【追悼】最後の「生粋の無頼派」福田和也は、いったい何者だったのか 瞬く間に「文壇の寵児」「保守論壇の若きエース」に急成長したが
■晩年の谷崎潤一郎について、今こそ話してみたかった では、谷崎潤一郎はどうだったか。 一見、老いを巧みに引き受け、演じたかに見える晩年の谷崎は、福田の眼にどう映っていただろうか。今そのことを彼と話してみたい気がする。 私の答えはこうだ。谷崎はただ彼の中の一人の少年を、無傷なまま「変態老人」に変態(メタモルフォーゼ)させただけではないかと。 確かにこの離れ業によって、谷崎は日本近代文学に特有の病、「思春期の狂人」(中村光夫『谷崎潤一郎論』)という罠を、例外的に免れたかもしれない。
ただそれでは、真に老いとの戦いに勝利したことにはならないのだ。 むしろ、勝利なき戦いに向けて言葉を再組織することこそ、老いへの真っ当な構えではないのか。 福田の旧宅の近くで飲んでいたその昔、酔いに紛れて不意に彼を呼び出すと、バンドをやっていたことのある彼は、福田パンク和也みたいないでたちで現れ、私は「このパンク右翼が」とからかったのを覚えている。30代半ばの彼は、十分に若かった。 もちろんそれ以前に私は、右翼席にVIP待遇で座らせられた彼のことを、他人事ながらハラハラしながら見守っていたのだった。
パンクな無頼派でもあった彼は、カラオケで小林旭の『ダイナマイトが百五十屯』を下手くそに歌い、「風花」では川村湊(文芸評論家)を殴り倒し、四谷三丁目の文壇バー「英」では、飾ってあった山口瞳の色紙を引きずり降ろして出入り禁止になった。 ■師・江藤淳を語る言葉から浮かび上がるものは? もっとも、師・江藤淳を語る彼の言葉からは、そうした自己偽装の跡は探り出せず、もっと「切実な何か」がそこから浮かび上がってくる。
江藤氏における「成熟」について、例えば私は「大人」といった事を語りたい訳ではない。江藤氏は、その文業の始めから「大人」であった。氏が二十代の始めに著した『夏目漱石』には、既に今日の古希還暦の年配にも見当たらないような「大人」の相貌が見て取れる。確かにその「大人」さは不思議なものだ。いかにしてこの青年は、このような視線と声音を身につけているのだろう。 (「江藤淳氏の「成熟」」、『福田和也コレクション1』より)