津波で家族4人を失った父 新たに授かった娘に「おばあちゃんになるまで生きて欲しい」#あれから私は
一方で上野は、生前の子ども達の写真やビデオを見ることができずにいる。いなくなったという現実を突きつけられるようで、どうしても「怖い」のだという。
災害の犠牲者ゼロを願う
2015年秋。そんな上野が、震災後初めて他の地域に目を向ける出来事があった。茨城県の豪雨で鬼怒川が決壊し、水害が発生した時のことだ。被害の大きかった常総市では、8千棟の家屋が被災し、市の面積の3分の1が浸水した。ニュースを目にした上野が、思わず口にする。 「なんでみんな、こんなとこにいるんだよ! こんな川の近くに住んでて、なぜ避難してないんだ」 4千人以上が自宅に取り残され、自衛隊に救助されたことに、怒りを露わにする。東日本大震災の津波が全く生かされていないと感じた。 「全く教訓になってねぇんだなって。まるで、自分の家族の命が無駄にされたように感じるよね」
それからも各地で、毎年のように災害が発生した。熊本地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震。一昨年には全国で台風被害が相次いだ。上野は声が掛かれば、九州や四国など遠方へも足を運び、講演会に登壇してきた。参加者を前に決まって語りかける。 「命より大事なものがありますか? とにかく、自分の命と家族の命は、自分たちで守る。本当に、後悔してほしくないんです。次に災害が起こったら、犠牲者はゼロ。それだけを願っています」。
先月には、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震が発生した。深夜11時過ぎ、激しい揺れが収まると、上野はすぐに倖吏生を着替えさせ、妻と一緒に車で避難させた。避難先は内陸のスーパーの駐車場。倖吏生には物心つく頃から、「地震の時はすぐ避難」と教えてきた。
生きていてさえくれればいい
毎年3月が近づくと、メディアはこぞって「被災地を忘れないで」と報道する。見た人たちは、「東北は大変だったね」と言ってくれる。上野にとっては、そんな報道がどうしても無意味だと感じてしまう。 「東北のことを思ってもらうより、『いまある、あなたの命のほうが大切ですよ』って言いたい。だから1年に1回、3月11日は、みんなが自分と家族の命に向き合う日になって欲しい。震災をどう教訓にするか?日本じゅうで考えたり、話したりするような日になればいいのになって思うんです」