津波で家族4人を失った父 新たに授かった娘に「おばあちゃんになるまで生きて欲しい」#あれから私は
そんな日々の中で、ある出来事を境に、上野の心境に変化が起きていた。南相馬市の海岸で、上野たちが人の頭部を発見した。それを警察に届け出た時のことだ。 「ああやって見つかればさ、誰かのところには帰れるわけでしょ? それは幸せなことだよ、待ってる家族にとっては。だから俺は、倖太郎や親父に限ったことでは全くなくて、いま行方不明の人全員を捜したい。誰でもいい、見つかってほしい」
次女の入園式で複雑な思い
震災から丸4年が過ぎた2015年春。一家は、晴れやかな表情で車に乗り込んだ。久しぶりにスーツに袖を通した上野。この日は、3歳になった次女・倖吏生の入園式だった。すでに兄・倖太郎の年齢を追い越していた。上野はその成長を、時に複雑な想いで受け止めていた。 「倖吏生の成長はすごく嬉しい。だけど同時に、永吏可、倖太郎の人生が短かったと改めて考える。助けてあげたかったなぁと考えてしまうね。本当に申し訳ないなぁと、どうしても考えてしまう」
その前年に夫婦は、生きていれば7歳で小学校1年生のはずだった倖太郎のためにと、濃紺のランドセルを買っていた。毎年の誕生日にもプレゼントを買う。最初の頃は、大好きだった仮面ライダーのフィギュアが多かった。「年相応のものを」と毎年、成長した姿を想像しながら考える。 しかし年々、何を買ったらいいかと悩むようになる。いまどきの子どもたちの流行りを考えながら、ゲームソフトやGショック、大リーグのキャップなどを選んだ。上野がポツリ、こんな言葉を口にする。 「『これが欲しい』って言ってもらったほうが、よっぽど楽だけどね……」 知っている息子の姿は、いつまで経っても3歳のまま。震災から10年の今年は、本当だったらもう中学生。震災当時8歳だった姉の永吏可は、高校を卒業する年だ。 自宅の祭壇には、4人の遺影と骨壷が並ぶ。喜久蔵と倖太郎の骨壷には、遺骨の代わりに遺品の洋服などを入れてある。「ずっと一緒にいたいから」という理由で、納骨はしていない。 「ホントに(体の)一部でも戻って来て欲しいって気持ちは、当然ずーっとあるし。例えば、いざ納骨をしようとしても、何も入れるものがないままってことだからね。見つかってる人のことを聞けば、正直どっかでは『いいなぁ』とは思うよ」 亡くなった4人と暮らした記憶もいつしか薄れてきた。ある時、「子どもたちの声が思い出せない」と、上野が涙ながらに口にした。そんな上野は、子どもたちが使っていた思い出の品を何もかも取っておきたがる。靴や洋服、バッグや自転車……。倖吏生とは違い、2人とはもう新しい思い出を作ることができない。