【能登半島地震から1年】能登・七尾市のシェフ平田明珠さん「これからもこの地とともに生きていきたい」復興を振り返り
七尾には和倉温泉という有名な温泉街がある。海沿いの旅館などが全国的に人気だったが、軒並み震災の被害を受けた。そんななかでも2024年12月に4軒の温泉旅館が再開するなど、明るいニュースもあるが、いまだ大型旅館の多くが再開の見込みを立てられずにいる。こうした状況に、やはり志に共感する日本全国の仲間とともにイベントを行うことは大事だと実感。日本各地のさまざまなイベントに参加し、能登へまた足を運んでもらうイベントなども企画した。 「なかなか復興が進まず、能登は5000人以上人口が減りました。いまだに営業が再開できないお店は多く、県外からの観光客が戻らない現状もある。震災後の報道は減り、『能登に行ってよいのだろうか』という印象が残るなか、そんな状況を打破すべく能登への新しい交流の動線を作る必要があると感じていました」と語る平田さん。 2024年10月には「FESTA DELLA PACE」というイベントを開催し、店の目の前の塩津海水浴場跡地に1500人以上が全国から集まった。飲食店という範疇を超え、塩津壮年会や県外のデザインチーム、ボランティアなど県内外の仲間たちと総力をあげて実現したものだった。 その後も、東京のフランス料理店「エスキス」のリオネル・ベカ氏が発起人となり、輪島の「ラトリエ・ドゥ・ノト」の池端隼也氏とともに能登の声を届け、能登の未来を考えるチャリティコラボレーションイベント「NOTO NO KOÉ」の2回目を自店で開催。 能登でのイベントが増えている背景には「ぜひ能登に足を運んでほしい。いつまでも被災地というイメージではなく、単純に自分たちの店がある能登という場所が、七尾という場所が魅力的であることを知ってもらいたいんです。そしてそこで自分たちのやっている仕事が伝わるといいと思っている」という平田さんの思いが込められている。
久しぶりに山の中へ。自然の力強さが気づかせてくれたこと
震災後、店を再開して8カ月。料理についての考え方も変わったと話す。 店を再開したのは、寒い冬の空気が緩んで春の兆しを感じ始めるころだった。久しぶりに水を汲みに、震災前毎日入っていた山へ行った平田さん。 見慣れた山の風景は地震で崩れてしまっていた。ショックを受けながら奥まで進んでみると、思いがけない景色が目に飛び込んできた。温かな日差しの中で芽吹いた野草たちがいきいきと太陽に向かって葉を広げ、以前と変わらない、いや、以前以上に美しい光景が広がっていたのだ。 「自然の力強さに心を打たれました」と平田さん。 この土地が育む命を大切にしたい。自然とそう思った。里山は人の手が入らないと荒れてしまう。自分がこうして山に入り必要な分だけ野草を採ることは小さいことかもしれないけれど、里山とともに生き、その循環の一部になれたら。そんな気持ちが強くなったのだという。 「能登には6000年前に人が住んでいた記録があります。そのころからずっと人々は自然とともに暮らしてきた。人がいないと自然が豊かにならない。自分はその6000年の歴史の流れの上にいるということを考えたいと思うようになりました」 また、震災後に料理に向き合う気持ちも変わったと話す。震災前に平田さんは「ヴィラ・デラ・パーチェ」の料理を“プラントベース”にすると発表していたことがあった。けれど、「いまはそうしたテーマを掲げるのは違うのかなと思っていて」とさらり。炊き出しなどで思ったのは、目の前の人に単純に食べる喜びを感じてほしいということ。以前は “自分の作りたいものを食べてもらう”という思いが強かったと振り返る。いまは、「目の前のお客さまが何を食べたいのか、どんなことを期待しているのか、そのうえでその期待を超えるようなものを提供していきたい」という。 「料理だけでなくて、食べやすさとか、出す順番とか、以前よりももっと気にかけたいと思うようになりましたね。今日は寒いから、最初にあったかいものを食べたいかな?とかね。そんなキャッチボールが自然にできたら」