単身世帯4割、誰もが「孤独難民」になりうる…身寄りなし76歳が「孤独死」を覚悟した凄絶背景
孤独死や陰謀論が社会問題化している。その背後にあるのが、日本社会で深刻化する個人の孤立だ。『週刊東洋経済』11月16日号の第1特集は「超・孤独社会」だ。身元保証ビジネスや熟年離婚、反ワク団体など、孤独が生み出す諸問題について、実例を交えながら掘り下げていく。 【写真】女性が書き留めたノートの内容とは? 大きなガラス張りの窓から、秋晴れの空と緑の芝生が見える。暖かな午後の光が差し込む美術館は芳子(仮名、76)のお気に入りの場所だ。ベンチに座った芳子は穏やかに話し始めた。
「まさかね、自分がこんなふうになるとは思わなかった。自分で死ぬことはできないけど、殺してほしいと思うことはあるの」 神奈川県内のアパートに1人で暮らす芳子は、8年前まで東京都港区にあった実家で暮らしていた。だが現在は経済的に困窮し、頼れる人もいない。芳子がつづったノートには、「孤独死する覚悟と予感がある」と記されていた。なぜ、そこまで追い詰められたのか。 ■母の死をきっかけに生活が一変 芳子は1948年、都内で生まれた。母親は終戦直後から活躍した、知る人ぞ知る評論家だった。芳子自身も幼少期から成績優秀で、都内の私立高校に進学。高校在籍中からジュエリー制作を始め、卒業後はデザイン専門学校に進んだ。21歳のときに雑誌の編集者と結婚するも、28歳で離婚した。その後長年連れ添った恋人はいたが、結婚することはなかった。
芳子の生活が一変したのは、母の死がきっかけだった。芳子はその訃報をテレビのニュースで知った。知らない間に認知症の母の後見人になっていた次男(芳子の兄)は、芳子を母から遠ざけていた。次男はさらに、母の持ち家だった港区の家を売却。そこに住んでいた芳子は、出ていかざるをえなくなったのだ。持病(後述)のある芳子は長年定職に就くことができず、母の仕送りを頼りに生活をしていたが、それも途絶えた。 その後は神奈川県内を転々とし、何とか暮らしを立て直そうと奮闘した。だが、ガスの料金を支払えず、1年半もの間ガスが止まるほど綱渡りの生活が続く。