【光る君へ】無念の死をとげた「伊周」や「道兼」は、ぜんぜん成仏しなかった!? 晩年に道長を苦しめた怨霊たち
NHK大河ドラマ『光る君へ』第39回では、道長(柄本佑)を呪詛していた伊周(三浦翔平)がこの世を去った。「俺が何をした…」とのセリフにツッコミがあつまったが、失意のうちに絶命した彼が、怨霊として晩年の道長を祟ったという記録が残っている。どういうことなのだろうか? ■道長を苦しめた怨霊とは? 晩年の道長は、怨霊に苦しめられることが多かった。本来は病に侵されて苦しんだだけだろうが、当時の人々は、これを本気で怨霊の祟りのせいだと信じたようである。道長も例に漏れず、そう信じ切っていた。 ともあれ、その一例が、兄の道兼の怨霊である。道兼が、父・兼家の異母妹であった繁子を妻としていたということも頭に入れておきたい。特に弟の道長と仲が悪かったというほどではなかったが、その死があまりにも早かったことで、無念の余り成仏できず、怨霊となって、誰はばかることなく祟りを成していたというべきだろうか。 その霊が繁子に取り憑いて道長に掴みかかったことが、能書家としても知られていた藤原行成が著した日記『権記』に記されている。その形相がまるで忿怒のようだったというから、無念のほどが知れる。この時は陰陽師らが悪霊退散の祈祷を行ったことで、ことなきを得たというから幸いであった。 また、道長は、政敵であった甥の伊周を追い落とした負い目もあってか、その父である道隆(道長の兄)が恨んで出ることも恐れていた。伊周を本位に復すよう働きかけたのも、それを回避するためだったのだろう。 ともあれ、病に苦しめられる度に怨霊のせいであるかのように記録されていることは見逃せない。その怨霊が誰であったのか明確にはし難いが、道兼や道隆ばかりか、三条院の名まで登場する点に注目したい。 いずれも、道長にとって心の重荷になっていた人物ばかりだからである。当然のことながら、彼の心に残る自責の念や何らかのわだかまりが、怨霊を見たかのように思わせたのだろう。それこそが、怨霊のあるべき姿だったというべきだろうか。
藤井勝彦