「息子は重度の知的障がいと自閉スペクトラム症」元Jリーガー・永里源気 タイへ単身赴任中に川崎病で「今日がやま場」と告げられて
■単身赴任中に大和さんが川崎病に ── ガイナーレ鳥取で約1年間プレーしたのち、タイのクラブチームに移籍されました。ご家族は鳥取に残り、奥さまはワンオペという形だったのでしょうか? 永里さん:はい。ぼくはタイに単身赴任をしたので、妻はひとりで本当に大変だったと思います。夫婦共に実家が神奈川県なので、妻と子どもたちで地元に帰るということも考えたんです。でもいろいろと調べてみると、行政のサービスって地域によって違うじゃないですか。鳥取は障がいを持つ当事者や家族への対応がすごく手厚かったので、長女も小学校に行くタイミングだったし、産まれたばかりの次女もいたし、今は大和の環境を変えないことが一番だという結論に至って、家族は鳥取に残ることになりました。ぼくが日本を離れてからは妻のお母さんが鳥取に来て一緒に住んでくれる予定だったんですけど、お母さんが来てくれるまでの1年4か月の間にもいろいろなことがありました。
── 奥さまは、どのようなことが特に大変だったとおっしゃっていましたか? 永里さん:くにゃくにゃして長距離を歩けない大和と0歳の次女を連れて出かけること、外出先でどこかに行こうとすること、ご飯の準備やお風呂のときに何をするかわからない大和から目が離せなくて毎日試行錯誤を重ねていたことなどが、妻は大変だったようです。 実は大和が3歳10か月のとき、川崎病にもなったんです。数日間高熱が出て、周期性嘔吐症で3日目に脱水症状になって入院したんですけど、計5日間、40度近い高熱が続いて。5日目の朝に発疹が出て、川崎病という診断を受けました。治療で快方に向かうことが多いんですけど、まれに心筋に炎症が生じることがあって、その“まれ”なことが大和に起きてしまって。心臓の動きがゆっくりになって、人工心肺の話も出ました。試合前日に「きょうがやま場だ」と聞いて、タイにいたぼくは寝ないで試合に臨んだことをすごく覚えています。退院後は定期的に通院して、大和が8歳のときに完治しました。治療が早かったので、奇跡的に後遺症がなく過ごせています。