「商店街のアイドル」は"小さな漫才師"だった…0円で小学生に漫才を教える「大阪のおっちゃん」(54)の正体
■ミルクボーイ・駒場さんが通ったジムの会長 小川さんのウェイトトレーニングの指導歴は30年を超える。小川さんのジムはトレーニング愛好家から「聖地」と呼ばれるほど、根強いファンが集まるそうだ。関西の芸人も数多く通っている。「M-1グランプリ2019」にて優勝したミルクボーイの駒場孝さんもその一人。彼はジムで働いていた時期もあったそうだ。「今や、時の人です」と小川さんは振り返る。 現在、小川さんは漫才師の横山ひろしさんに指導を受けつつ、「横山チョップ」として芸人活動をしている。「お笑いの巨匠たち、横山ノック、キック、フック、パンチに続く打撃系の芸名を自分で希望したんです」と、小川さんは照れ笑いを浮かべた。 もうひとつ、彼は心理カウンセラーの顔も持っている。カウンセリングのボランティアを始めたことがきっかけで、「こどもお笑い道場」が生まれたという。 芸人、ジムのトレーナー、心理カウンセラー。一見なんの共通点もないように思える肩書を見て、彼への謎は深まるばかりだった。だが、小川さんにとっては1本の線でつながっていた。「あれもこれも」の末に、子どもと向き合うことになった。 ■阪神淡路大震災でジムの会員が激減 1970年、大阪市西淀川区で生まれ育った小川さんは、体力が余り過ぎる少年だった。物心がついた頃から、じっとしていると手の平が震えるようになり、病院に行くと「ホルモンの異常分泌」と診断された。 症状を紛らわすには運動で発散するしかなく、毎朝母親と川沿いにある大野川緑陰道路をランニングした。少しでも時間が空くと「なんかないかな?」と独り言を言いながら、動き回る日々を過ごした。 高校卒業後にボディビルディングに目覚め、スポーツ専門学校在学中に身体を鍛えた。21歳でボディビルダーとしてコンテストに出場。専門学校を卒業後は、近隣のスポーツジムでインストラクターとして働いた。そして1994年、24歳で地元・西淀川区の柏里本通商店街に「ジャングルジムスポーツ」を開業した。 当時、まだ周辺にスポーツジムがなかったため、創業して3カ月で100人以上の会員が集まった。小川さんはコンテストに出場する暇もなく、朝から晩までフラフラになりながらトレーニングの指導にあたった。 その翌年、予期せぬ出来事が起こった。阪神淡路大震災である。 その日、小川さんは、両親と2階建ての実家にいた。「ゴゴゴゴッって床から突き上げるような感じで。『うわ、こりゃ終わったな』と思いました」と小川さんは振り返る。 家族3人とも無事だったが、西淀川区にあった実家は半壊。理容師をしていた父親は店を閉じ、両親2人は母の故郷に避難した。小川さんは仕事があったため、大阪に残った。経営するジムは地震の影響をほとんど受けなかったが、震災の影響で会員がたちまち退会していく。 幸い、自営業の両親からのアドバイスで運転資金を500万円ほど残していたため、切り崩しながら営業を続けることができた。「最初の会員数に戻るまで、25年くらいかかりました」と小川さんは言う。