なぜ“ミスターセレッソ”FW柿谷曜一朗は名古屋グランパス移籍を決断したのか?
目の前で先制ゴールを決め、日本を決勝トーナメント進出へ導いたヒーローになった森島氏に続く夢を、セレッソ愛とともに成就させた瞬間だった。 2度目の別離はブラジル大会直後。スイスのバーゼルへ完全移籍するも、実質的な構想外となっていた柿谷は契約を2年半も残したまま2016年1月に復帰した。J1昇格への案内人を託し、『8番』を空けて待っていた古巣の思いに応えた柿谷の胸中を当時の玉田稔社長はこう慮った。 「曜一朗のなかには『こんなタイミングで帰っていいのか』という思いがあったようです。ただ、いろいろと話し合いを重ねるなかで『何とかセレッソの力になりたい』と言ってくれましたし、最後は『オレがJ1へ上げる』という、曜一朗の気概のようなものも感じました」 覚悟と決意は公の場でほとんど見せない涙となって結実する。ファジアーノ岡山を1-0で振り切った、2016年12月のJ1昇格プレーオフ決勝を終えた直後。人目をはばからずにピッチ上で涙腺を決壊させた当時の胸中を、柿谷は24日に発表したコメントでこう振り返っている。 「昇格に向けた最後のプレーオフ。『絶対昇格するんだ』と選手、スタッフ、サポーターがあれほど1つになった試合は生涯忘れません。僕のセレッソ人生一番で思い出に残っている試合です」 情熱を捧げ続けてきたセレッソの社長を森島氏が務め、サッカー人生を大きく変えた、徳島へ期限付き移籍した当時のレヴィー・クルピ監督が来シーズンから復帰する。それでも柿谷が完全移籍でセレッソから離れる理由は、情を抜きにしたプレーヤー目線で見れば察しがつく。 尹晶煥監督(現ジェフ千葉監督)のもと、YBCルヴァンカップと天皇杯の二冠を獲得した2017シーズンで、前年に引き続いてキャプテンを担った柿谷はJ1リーグ戦で全34試合に先発。プレー時間は2918分に達し、チームで3番目に多い6ゴールをあげた。 しかし、引き続き尹監督が指揮を執った2018シーズンに、リーグ戦の出場数とプレー時間はそれぞれ21試合と1424分間に激減。スペイン出身のミゲル・アンヘル・ロティーナ監督が就任した2019シーズンも、23試合および1614分とほぼ横ばいで推移したが、その間に届いたガンバおよび名古屋のオファーを断った理由は、前述したようにセレッソへの愛が上回ったからに他ならない。