新型コロナウイルスは「第3の破局」を招くか 「神の領域」に立ち向かう「人間の本質」
21世期前半に3回目の破局
二つの大戦の結果、アジア諸国の独立がつづき、やがてアフリカの独立につながり、並行して米ソ冷戦構造が形成される。冷戦時代とは、米ソの代理戦争としての小破局の時代であり、戦争は帝国主義どうしの機械力の戦争から、革命と独立を背景とするゲリラ戦とテロリズムを常態とするものとなった。近代的都市化の中心が先進国から新興国へ移る。 そして20世紀末には、冷戦構造が崩壊し、コンピューターとインターネットとグローバリズムの時代となる。その過程で、過激な自爆テロの精神的支柱となったのは社会主義に代わって宗教すなわちイスラム原理主義であり、経済的にも軍事的にも台頭したのは資本主義化した中国である。 この「コンピューターとインターネット」という情報的な都市化技術を「鉄と蒸気機関」「輸送機器とエンジン」につづく第3の技術革新ととらえれば、21世紀前半に3回目の破局が予測されてもおかしくはない。地球温暖化による異常気象と、このところ続いた、SARSコロナウイルス(2003年)、新型インフルエンザ(2009年)、MERSコロナウイルス(2012年)、そして今回の新型コロナウイルスの出現を、そこに位置づけることもできるのではないか。19世紀以後の爆発的な都市化は常にそういった破局を運命づけられているように思える。 最近特に破局を予感させたのは、人口爆発、都市爆発とともに「観光爆発」である。ここしばらく世界の観光地における人間の密集は異常であった。遠く離れたままの人をつなぐはずのインターネットの情報が、結局同じ場所に人を集めているのだ。過剰なグローバリズムが進行する中で、過剰な人口集中が現象する。 生物には個体群密度の調節機能すなわち「ある地域に同じ生物種が増えすぎることを自然に調節する」という働きがあるという。人類は科学技術によってその環境収容力の限界を高めてきたのだが、時に過剰があり破局があるのは自然なことだろう。