松井久子「76歳と89歳の再婚から2年。結婚を応援してくれた義娘夫婦とは別居に。残りの人生を二人だけで生きていく道を選んで」
人生のたそがれどきに出会いを得ても、子どもとの関係や迫りくる介護を考え結婚を選ばないカップルも多いもの。松井久子さんは76歳のときに、13歳上の思想史家の子安宣邦さんと再婚しました。その決断の理由と、現在の思いを明かします(構成=菊池亜希子 撮影=宮崎貢司) 【写真】13歳上の夫・子安宣邦さんと * * * * * * * ◆名義を変更する煩わしさ 結婚後の変化を一言で言うなら、「ラク」です。この年齢でコソコソ恋愛するのは私自身が気持ち悪くて。先生と私はいつも手を繋いで歩くのですが、近所の人に会ったとき、彼が私のことを「妻です」と紹介するのを聞いて、なんてわかりやすい! と思いました。結婚とは、社会的な認知を得て祝福してもらえるものなんですね。 一方で、日本では夫婦別姓がいまだに認められていないので、困ることもあります。姓が変わったほうは公的書類やパスポート、銀行口座やクレジットカードの名義をいちいち変更しなくてはならない。この煩わしさには怒りすら覚えます。 結婚という制度について言えば、そのために皆が縛られる。その現実は、根深いものだと思います。父親、母親といった役割を生きて、同じ屋根の下でただ暮らしている。同居していても、心は別々に生きている夫婦がとても多いと感じます。 でも、それは仕方のないことだとも思うのです。相性のいい人に出会ってずっとラブラブなんてケースはまれ。 ほとんどは、お互いが少しずつ無理や我慢をして一緒に生きる努力を重ねているわけですが、努力が成功するとは限らない。相手を間違えれば、努力しても苦労ばかりということもある。 それに比べて、仕事は裏切らないという実感が私にはありました。だからもう結婚はしないと思っていたのに、わからないものですね。
◆私たちが衝突しない理由 先生も私も、相手に「こうして」とは一切言いません。この年齢まで自分の人生を生きてきた者同士、お互い、大事なことやルーティンは変えず、一緒にいられることに感謝して、毎日を楽しんでいます。 そもそも先生には、家長的な性質がまったくないんです。それは幼くして父を亡くし、働く母親を支えて家事もこなしてきたからじゃないかと思います。男尊女卑的な考え方がなく、料理、洗濯、アイロンかけからボタンつけまで、何でもサラッとやってしまう。 お互いこれだけ年を重ねていると、好き嫌いがハッキリしていて、合わないことも多いのが普通でしょう。それで衝突する。 ところが、思想史の世界でひたすら思考して文章を書いてきた彼は、専門分野での集中力はものすごいけれど、それ以外はほぼ〈白紙〉。年齢を重ねた誰もが身につけているこだわりやワガママが皆無です。 感情を理性と知性で封じ込める訓練をしてきて、それがもはや性格となっている。だからずっと一緒にいても、衝突しません。これも私にとって初めての感覚でした。 一方で、先生はこれまで夫婦や家族に執着することがあまりなかったのではないかと感じています。愛情深い人なので、夫として父親としてできることを精一杯やってはきたけれど、夫婦や親子のあり方に疑問を持ったり、よくしようと働きかけたりすることはなかったのではないか、と。 ところが90歳を超えたいま、この結婚を通して、先生自身の人生を「生き直す」作業をしているようなのです。