母の遺産継ぐのは家出た長男・長女か同居次女か ドロ沼化招いた「2つの遺言」 法廷から
1通目の遺言書に示された遺産の配分が次女と長男・長女で異なっていたのには、明確な理由があった。
長男と長女はそれぞれ20~30代で結婚、独立したが、長く独身だった次女は、両親と実家暮らしを続けていた。在宅介護の末に父親を看取り、年齢を重ねて介護が必要になっていった母親の面倒を見ていた。
1通目が書かれたのは、次女が一人で母親を介護していた時期。次女が長年同居し、親の生活を支えたことへのねぎらいの言葉とともに、そうした事情を加味し«今後一生の生活のためにも憂いないようとり計らっておきたい»と、アパートの家賃収入を次女に遺す意向が記されていた。
その後、次女は令和元年に結婚し、家を出た。ただ、平日は夫の元を離れて毎日のように実家で寝泊まりし、母親の介護に当たっていた。
■義弟の「口出し」に立腹
地裁の認定によると、きょうだい間の対立が表面化したのは、令和2年3月に母親が介護施設に入って以降のことだったという。
母親の資産を管理しつつ介護費用の支払いも担っていた次女が、長男と長女に対し、費用の負担を求める可能性があると伝達。だが、長男と長女は母親の資産の状況を十分に知らされていなかったとして、不信感を強めていったという。
次女が弁護士をたてると、長女が立腹。説得のため、次女の夫が長女に手紙で事情を説明しようとすると、今度はそれを聞きつけた長男が、血のつながっていない次女の夫が口を出してきたことに腹を立てる-。事態はドロ沼化していった。
こうした不和は母親にも伝わっていた。心を痛めていたであろう母親が、遺産について«実子3人で話し合ってほしい»とする2通目の文書を作成したのは、そんな時だった。
その翌年に母親が亡くなった後も、対立は続き、争いは法廷に持ち込まれた。
■「仲良く人生を」
訴訟では、1通目の遺言書の効力が、後に作成された2通目の文書によって「喪失したか否か」が争点となった。
2通目の文書について次女側は、自身にアパート収入などを相続させるとした1通目の遺言書を「撤回する趣旨ではない」と主張。これに対し、長女・長男側は「(2通目は)遺言書を書き換える趣旨で作成された」と反論した。