「変な人たち」が多様なテレビコマーシャルを生んだ 伝説的プランナー・小田桐昭さんとたどるCMの発達史【放送100年②】
同じような作品が少ないのは、あえて作風を持たないよう、心掛けているからだ。「作風があると、それに問題を合わせちゃう。問題を解決するのが仕事ですから、解決の仕方はたくさんある方がいい。時代が変われば、問題も変わり、答えも新しいものになる」と小田桐さんは言う。 「僕たちテレビ屋には、どんなことをしてでも人の目を引き付けたい、という本能みたいなものがある。無視されるのが一番怖い。だから、見たことのないものを追求したんです」 ▽心を動かす仕事 映像と音声で商品やサービスを売り込むテレビCMは、大量消費を進め、高度経済成長を後押しした。短い秒数にメッセージを凝縮して、数々の流行語を生み、社会に大きな影響を与えてきた。 「しかし、家電製品などが一通り行き渡ると、消費欲が冷えた。新製品を作って、CMをガンガンやっても、物が売れなくなりました」と小田桐さんは指摘する。 バブル経済が崩壊した1990年前後から、大量のCMを打つことによって、スーパーやコンビニに商品を置いてもらう棚を確保するような広告手法が一般化していく。
「お茶の間よりも、流通のために、CMを流している。CMは人々を喜ばせるんじゃなくて、ただうるさいものになってしまいました。『CMは文化だ』なんて、とんでもない、と。せつない刺激をいかに反復するかに向かっている」 2019年、テレビは広告費でインターネットに抜かれた。ネットは、利用者が広告をクリックしたかどうかなど、詳細なデータを即座に得られる。そこで広告会社は、ネットに接続されたテレビの「視聴データ」をはじめ、大量のデータを収集。人工知能(AI)を使って、より効果的なCMの打ち方などを提案している。 「データに基づいて、消費者が歩きそうな所に、わなを仕掛けようとしているだけです。それで、商品と人との関係ができるのでしょうか。最近、良いCMが少ないのはなぜなのか、考えなきゃいけない」と小田桐さんは訴える。 「広告は心を動かす仕事。データよりも、本質的な直観が必要になります。人間って、もっと不思議なものだから」 傘寿を過ぎた今も、小田桐さんは大王製紙の大人用紙パンツ「アテント」の広告作りに関わっている。
「ものを考えるのが好きです。アイデアは突然、空から降ってくるんじゃなくて、ずっと問題を考えていると、答えが見えてくる」 × × × 日本で放送が始まって2025年3月22日で100年。ラジオ・テレビを形づくった人々に聞くシリーズ【放送100年】は随時掲載します。