「変な人たち」が多様なテレビコマーシャルを生んだ 伝説的プランナー・小田桐昭さんとたどるCMの発達史【放送100年②】
「論理的というより、肉体的。感覚というか、猥雑さというか、言葉や文字でない面白さを探った。CMの現場に変な人たちがいたことが、日本のCMの多様性につながったと思います」 テレビがお茶の間の中心にあった1970~80年代には、視聴者の貪欲さに促され、CM表現の幅が広がっていった。多彩な町人文化が花開いた江戸前期になぞらえて、「CM元禄時代」とも呼ばれる。 「みんなが、もっと面白いもの、見たことのない世界を見たがる。広告効果も上がって、スポンサーがCMにお金をかけるようになりました。僕たちは、テレビによる新しい文化をCMからつくるんだ、と思っていた。道を開いていく楽しさがありましたね」 ▽高見山がダンス 小田桐さんが手がけたCMは、驚くほど多彩だ。例えば、1976年に放送された松下電器産業(現パナソニック)のポータブルテレビ「トランザム」のCM。スーツを着た力士の高見山さんがトランザムを手に、軽快な踊りを披露する。巨漢と小型テレビ、日本の伝統的な相撲と米国流のタップダンス。意外な組み合わせが話題になった。
ただし、この作品の前には〝失敗作〟があった。「トランスアメリカ」を短縮した商品名の通り、小田桐さんたちが最初に作ったのは、若者がトランザムをバイクに積み、米国を横断するCM。映画「イージー・ライダー」に着想を得て、スタイリッシュに仕上げた。「でも、かっこいいだけでは駄目。誰も覚えてくれなかった」 第2弾を依頼されたが、米国ロケに多額の制作費を投じてしまったため、予算がない。「一番お金がかからない方法」として、スタジオの壁の前で、大きな人に小さなテレビを持ってもらおう。有名タレントに払うギャラもないから、「まさか」と思われる人を探そう―。小田桐さんは、普段は浴衣の高見山さんがジーンズを履いた雑誌の写真を思い出し、出演を依頼した。 「ハワイ出身だから、踊れるんじゃないかと思っていたけど、リズム感が良くて、びっくりしました。お金がなかったから、シンプルに考えたのが良かったのでしょう。条件が良く、ヒントがありすぎると駄目。広告って、そういうものです」 ▽セクシーなフルムーン