オリックスが繰り返す途中解任の黒歴史…効果はあるのか?
最初の途中解任は2003年。2年目の石毛宏典監督は、前年の最下位に続き、このシーズンも開幕から最下位に苦しみ、20試合が終了した時点で7勝12敗1分けの成績だったが、4月23日に電撃解任が決定。後任の監督には、この年から打撃コーチとして日本球界に復帰していたレオン・リー氏が就いた。だが、レオン・リー氏もチームを立て直すことができず、38勝76敗3分で最下位に終わり、翌年からは、元西武の伊原春樹氏が監督就任した。伊原氏も3年連続の最下位に終わり1年でクビになっている。 2度目の途中解任劇は2008年。テリー・コリンズ監督の電撃辞任が5月21日に発表されている。コリンズ氏も2年目のシーズンで1年目が最下位、2年目もこの時点で21勝28敗の5位に低迷していた。後を継いだのは、ヘッド兼内野守備・走塁コーチだった大石大二郎氏で、残り試合で54勝44敗1分と巻き返して9年ぶりのAクラスとなる2位に入りクライマックスシリーズ進出を果たした。CSでは第1ステージで日ハムに敗れ、日本シリーズ進出は果たせなかったが、途中交代の成功例だ。 大石氏はチームに燻っていたコリンズ監督体制下での様々な不満を解消。タフィー・ローズ、アレックス・カブレラの2枚看板に力を発揮させるなどチームの持っていたポテンシャルを最大限に引き出したが、翌年は、外国人の怪我や“投壊現象“を止めることができずに最下位に終わり1年で解任され、元阪神監督の岡田彰布氏にバトンを渡すことになった。 その岡田氏は、2002年以降、オリックスでは、最長の監督任期となる3年目に突入した2012年9月25日にシーズンを9試合残して電撃解任された。この年は主力の故障離脱が相次いで、20以上の借金を抱え最下位。9月22日に今季限りの退任を当時の球団本部長に告げられ、その際「残り10試合ですが、全力で頑張ってください」と伝えられていたが、その舌の根も乾かないうちに、遠征先の千葉から京セラドームへ移動すると「今日限りで休養していただくことになりました」というプレスリリースを差し出され、一度、着替えたユニホームを脱ぎ、試合前にタクシーで自宅へ帰らされている。 1軍チーフ野手兼内野守備・走塁コーチだった森脇浩司氏が9試合だけ指揮をとり7勝2敗の成績を残し、翌年から正式監督に就任。2年目の2014年に“勝利方程式“を確立して2位に浮上する躍進を遂げたが、前述したように、その翌年に開幕ダッシュに失敗すると、6月に途中解任され、後を受けたヘッドコーチの福良淳一氏が、42勝46敗1分とやや持ち直して順位をひとつだけ上げて5位でシーズンを終え、翌年から正式監督となった。その福良氏も3年間で最下位、4位、4位の成績で一度もAクラスに浮上できず2019年から西村氏に交代している。