人口減少、文化による解決できないか ── 逸脱の空間と文化的野性の復活
日本の人口減少が始まりました。国や地方は、少子化対策などでさまざまな政策を打ち出していますが、この大きな流れを変えることは容易ではありません。なぜ、日本で人が増えなくなったのか ── 。建築や文化論の多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋氏が、日本文化の視点から人口減少の背景と解決策について考えます。
過密とのたたかい
筆者は若いころ、日本の人口が減ることを切に願っていた。 同世代の人間は誰でもそうだろう。 少年時代、世界の人口は30億前後と覚えた。現在は70億、やがて100億に達するという。長期にわたるグラフで示すと、人口曲線は右肩上がりどころか、ずっと横ばいだったのが19世紀に突如として垂直に転じる、すなわち人口増加ではなく「人口爆発」である。 日本は、特に東京は、どこへ行っても人だらけ、ラッシュアワーの山手線は殺人的、交通渋滞は日常的、排ガスも騒音も健康を脅かすレベル、週末のリゾートなどわざわざ疲れに行くようなものである。筆者の人生の前半は過密な人口との戦いであったといってもいい。名古屋の大学に赴任して、ようやく人間的な生活ができるようになったのだ。今ここで「人口減少」について書くというのも不思議な気がするほどである。 世界的に、先進国を中心に多くの国が減少期に入るというが、まだ全体的には増えつづけており、人口爆発という現実がなくなった訳ではない。飢餓疾病、大気汚染、異常気象、森林後退、資源枯渇といった地球的問題は、ほとんどが多すぎる人口に端を発しているのだから、この記事は「人口爆発における人口減少」という微妙な価値観において書くことになる。
人間が調節するべきものか
生物の個体群はさまざまな要因によって変動するが、特に人口は、戦争、食料、疾病との関係で語られることが多い。筆者はそこに、アダム・スミスが経済現象について述べた「神の見えざる手」にも似た不思議な調整がはたらいているように思える。つまり自然の生態系に人為的な変化を加えることが控えるべきであるのと同様、人間が自ら人口を調整するということもどうだろうかという気がするのだ。 人口調節として、もっとも大規模に実現したのは(共産主義思想もあって)、中国の一人っ子政策であるが、近年その弊害としての高齢化が指摘されている。先進国で人口が増えているのはアメリカであるが、これは主として移民による。出産育児を支援する政策によって減少が止まったフランスも、その多くがアフリカ系移民の出生増であるという。また減っている国の中にも移民(出)によるものがあり、この問題は宗教、思想、旧植民地など、事情の異なる外国が参考になりにくいのだ。 そう考えてみると、直接的な政策によって人口減少を食い止めるのは簡単ではなさそうだ。ここではそれを大前提として、文化的な、間接的な解決法を探ってみたい。