人口減少、文化による解決できないか ── 逸脱の空間と文化的野性の復活
家族制度の急変
これまで、近代化の過程にある社会は、経済的離陸(テイクオフ)とともに、人口が多産多死の安定から、多産少死による急増を経て、少産少死の安定に移行するという理論(たとえばW・W・ロストウ の『経済成長の諸段階』)が説得力をもっていた。つまり人口のS字カーブであるが、近年、日本、ドイツ、イタリア、韓国など、経済発展にともなう急増のあと、極端に出生率が低下して人口が減少する社会が多くなった。 不思議なことにこれらは、第二次世界大戦で枢軸国として戦った国(もちろん韓国は特殊)であり、戦争犠牲者の怨念ではないかという人もいるほどだ。 筆者はこれを、国家と家族のすなわち人間の集団性において共通する文化があったからではないかと受け止めている。 日本も、ドイツも、イタリアも、近代的な意味での「国家」という概念が成立したのは19世紀である。それまではそれぞれの地域が独立的に運営されていた。ドイツとイタリアは、それぞれ独立した都市国家のような状態であった。 日本は江戸幕府の統制があったものの、それぞれ「藩」という単位で運営され、当時は「国」とも「家」とも呼ばれていた。また、比較的早くから個人主義が発達していたイギリス、フランス、北欧などと比べ、家族主義あるいは大家族主義が強く、家長(戸主)の権力と責任や、長子(男性)が家を継ぐという制度なども残っていて、有り体にいえば男性(父権)社会であった。つまり近代的な「国家と家族」に対して、それぞれ独特の「家」的な集団性が強かったのである。 それが第二次世界大戦の敗北によって一挙に、英米仏北欧流の個人主義的民主主義に切り替えられ、人間の集団性を維持する伝統的な文化に混乱が生じ、それぞれさまざまな条件と絡んで、出生エネルギーが低下したのではなかろうか。 この考え方は、シンガポールのリー・クアン・ユー元首相の「人口急増社会は好戦的になる」という発言とも符合するし、エマニュエル・トッドの家族論とも矛盾しないようだ。 これまで増えつづけた日本の人口であるから、ある程度の減少はやむをえないだろうが、どこまで戻るのか。戦後までなら8000万、明治維新までなら3000万、江戸開府までなら1500万が大まかな目安だが、戦後ぐらいまでは覚悟しなければならないのかもしれない。 もちろんこのままで行けばの話である。生物の個体群の増減には周期性があるという研究もあるので、再び人口増に転じる可能性もないわけではない。また日本より人口の少ない国はいくらでもあり、人口減少よりも、その過程における生産人口率の低下が問題だということもある。これに対しては、女性と高齢者の就労、外国人労働者の受け入れが手っ取り早い方法だが、副作用と限界がないわけではない。