帝国ホテルがコロナ禍で見せた従業員への“気遣い” 非常事態宣言の発令でホテルは営業縮小、従業員の自宅待機…そんななかで社長から届いたメール
定保社長は営業再開準備委員会を立ち上げ、すべてのアイデアに目を通し、1つひとつ実現していきました。 そのなかには、ホテル業界に衝撃を与えたサービスアパートメント事業や、帝国ホテル初の直営日本料理レストランにつながるアイデアなどもあったそうです。 ② ホテルニューオータニ 1964年、東京オリンピック開催に合わせて開業したのがホテルニューオータニです。 オリンピック開催を間近に控えた東京では、世界中から訪れる観光客のためのホテル不足が大きな課題となっていました。そこで、時の東京都知事が国際級ホテル建設にふさわしい候補地として白羽の矢を立てたのが、千代田区の紀尾井町にあった大谷米太郎氏の私有地でした。
大谷氏は一代で大谷重工業を築き上げ、“鉄鋼王”と称された実業家です。要請を受けた大谷氏は、初めてのホテル事業に取り組むことを決意しました。古くから大名屋敷や宮家の邸宅であった約2万坪の敷地は、都心にありながら堀割と石垣に囲まれた緑豊かな環境で、ホテル用地としては絶好のロケーションでした。 ■超高層ビル時代を象徴するホテル このプロジェクトには大きな問題が立ちはだかっていました。工事を開始した1963年4月の時点で、日本の建築基準法は高さ31メートルを超える建築物(超高層)の建設を許可していなかったのです。
建築基準法改正はその年の国会で審議入りしましたが、法案の成立を待っていては到底間に合いません。そこで、建築許可申請は従来の法規に従って5階建てで行い、改正法が施行された1964年の1月に計画変更手続きを行ったのです。 法改正に伴い、超高層ビルの建設には日本建築センターの建築確認が必要となりましたが、その建築確認第1号となったのがホテルニューオータニでした。ホテルニューオータニは、日本の超高層ビル時代を開いたモニュメントともいうべき建築物なのです。
また、ホテルニューオータニは「食」の面でも先進的な取り組みを行っています。 館内には1999年の5月からコンポストプラントを導入しました。これにより、1日約5トンの生ゴミを有機堆肥に変え、再利用することで食品ロス実質ゼロを実現しています。SDGsという言葉が盛んに使われる以前から、積極的に取り組んでいるのです。 さらに「食のSDGs」として、おいしく、そして環境にもやさしく、健康的なメニュー開発にも取り組んでいます。