「歴代大統領は名前を残したがる」再建工事の関係者からひんしゅく…ノートルダム大聖堂に透けるフランス・マクロン大統領の“思惑”
「ノートルダムよ、扉を開け」。大司教が唱え、火災で燃え残った梁(はり)から作られた大きな杖で扉をゴン、ゴン、ゴンと叩いた。すると、音楽とともに光の波紋がノートルダム大聖堂を包み、式典が始まった。 【画像】「ノートルダムよ、扉を開け」と唱え、火災で燃え残った梁(はり)から作られた大きな杖で扉をたたく大司教 12月7日、フランス・パリで行われた大聖堂の再開を祝う式典には、イギリスのウィリアム皇太子、ウクライナのゼレンスキー大統領、そしてアメリカのトランプ次期大統領などそうそうたるメンバーが参加し、パリのシンボルの再建を世界に印象づけた。 同時に、マクロン大統領にとっても自らの存在感をアピールする絶好の機会となった。アメリカ大統領選での勝利後、初めての海外訪問となるトランプ次期大統領を迎え、式典の直前にはウクライナのゼレンスキー大統領との3者会談を演出。 また、大聖堂の中で行った演説では「この5年間、修復に携わった全ての人たちは誰しもが欠くことのできない仕事を行った。そして、世界各国のどの支援も不可欠だった。我々はフランスが不可能を可能にできることを再発見した」と誇って見せた。 ただ、この火災からの5年8カ月の歩みを振り返ると、歴史に名前を刻むことに執念を見せるマクロン大統領の“思惑”が透けて見える。
2019年の火災直後に「5年での再建」を宣言
ノートルダム大聖堂は、パリの中心部を流れるセーヌ川に挟まれたシテ島に位置している。1163年に建設工事が始まり、100年あまりの歳月をかけてゴシック様式を代表する建造物として誕生した。 フランス革命の際に財宝が略奪され、冬の時代を迎えたが、文豪ビクトル・ユーゴーが1831年に小説「ノートルダム・ド・パリ」を発表したことで再び注目が集まり、再建を経て、1991年にはユネスコ世界遺産に登録された。 しかし、2019年4月、着工850年を祝った後も続いていた修復のさなかに火災が発生したのだ。火災では、建物正面の2つ並んだ塔など主要な部分の被害は免れたものの、尖塔(せんとう)や屋根の一部が焼失した。 マクロン大統領の対応は迅速だった。火災直後に「5年での再建」を宣言。焼失した尖塔のデザインを国際コンペで決めるとの提案が持ちあがる。 これに呼応したのが、建築家たちだった。自らデザインした再建案をインターネット上に発表する動きが広がり、中には屋上庭園にガラスや巨大な炎の形をした尖塔まで、様々な案が披露された。 しかし、この方針に国民や専門家が反発。地元紙が実施した世論調査では、回答者の54%が元の形での大聖堂の再建を望み、新たな要素を加えることに賛成したのは25%にとどまった。さらに、2020年7月、文化財の保全に関する国の委員会で火災前に近い形での修復する計画が提案され支持された。 こうした大きな流れにあらがえないと判断したのか、マクロン大統領も「焼失前と同じデザインでの復元が望ましい」との提案を受け入れ、国際コンペの方針を撤回した。この決断から約4年、マクロン大統領が言うところの「不可能を可能にできる再発見」につながったのだった。 12月8日、再開後初めての一般公開で大聖堂の中に入ることができたフランス人に話を聞くと、「かつて大聖堂の中はとても黒ずんでいたが、今はすべてが白く、全てが修復されていて、まるで魔法のよう」「火災前のノートルダムを知っている者にとっては、本当に驚きだった。改めて大聖堂の素晴らしさを実感した」などと、一様にその出来栄えを絶賛していた。