55歳の復活劇!とんでもない筋肉量で全国大会で優勝 「この身体が老いて朽ちるまで自分を超え続けるだけ」
「夢はない。目標は、この身体が老いて朽ちるまで自分を超え続けるだけ」 これは富沢理恵(とみざわ・りえ/55)選手のInstagramに書かれていた一文だ。なんともノスタルジックな文章だが、並々ならぬ気合を感じられる。23年前に一度女子ボディビル(当時の名称)に出場したものの、以降は舞台から姿を敬していたという富沢選手。 【写真】富沢理恵選手のとんでもない筋肉量
「当時の大会では大コケ、つまり予選落ちをしました。トレーニングは好きでしたが、競技欲がなくてずっと眠っているような状態で。ですが、55歳になるしもう一度やってみようかな、と思い立って競技の道をもう一度歩み始めました」 そこで選んだ復帰戦が去年のマッスルゲート千葉大会だった。レギンスフィットネスに出たところ結果は5位。「もしかしたら、もうちょっといけるかもしれない」と思い、これまで以上に身体づくりを行なって女子フィジークへの道を再び歩んだという。 初戦は東京クラス別からスタートし、東京選手権、日本選手権、そして締めくくりの大会となったのは「ゴールドジムジャパンカップ2024」(以下、ジャパンカップ)だ。ジャパンカップはボディコンテストの登竜門とも言われるマッスルゲートの全国大会とも言える大会。12月21日(土)と22日(日)、東京都の品川インターシティホールにて開催され、新人の部以外の地方大会優勝者、JBBF(日本ボディビル・フィットネス連盟)のトップ選手たちにも出場権が与えられている。 東京クラス別では女子フィジーク158cm以下級で優勝、東京選手権では2位、そして日本選手権では10位という、女子フィジーク元年で華々しい成績を獲得。そんな富沢選手がジャパンカップに挑戦しようと決めたのは、日本選手権に出場する前だったという。その理由を「日本最高峰の大会でどこまで評価いただけるか未知数で……。去年のレギンスフィットネスでは評価していただけなかったので、女子フィジークではどうかな?と考えたんです」と話す。 6月から12月まで半年以上大会があった富沢選手に、シーズン中はつらくなかったのかを尋ねてみると明快な声で次のように答えてくれた。 「ここまでノンストレスで楽しんですべての大会を迎えることができました。無名の選手だったのでプレッシャーを感じることもなく、伸び伸びと戦わせていただきましたね。23年前に挑戦して競技からは離れていましたが、なんとなく心には引っかかっていて。今年女子フィジークをもう一度やってみて、自分はこっちのカテゴリーだったんだな、やっぱり好きだったんだな、と再確認できた幸せな1年でした」 ジャパンカップが終わった翌日、富沢選手のInstagramの投稿には「今日から来年に向かって始動いたします」と綴られていた。来年、東京で開催される日本選手権の会場は、おそらく江戸川区文化センター。「23年前、惨敗したときと同じ舞台にまた立てるーー」。この思いを胸に、富沢選手の身体づくりは始まっているようだ。
【JBBFアンチドーピング活動】JBBF(公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟)はJADA(公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構)と連携してドーピング検査を実施している日本のボディコンテスト団体で、JBBFに選手登録をする人はアンチドーピンク講習会を受講する義務があり、指名された場合にドーピング検査を受けなければならない。また、2023年からは、より多くの選手を検査するため連盟主導で簡易ドーピング検査を実施している。
取材・文:小笠拡子 撮影:中島康介