フィリピンの回教徒、パラワン島に見たイスラム共同体
路地裏の小さなモスク
モスクは近くにあるというので、数分歩くと路地裏に小さな丸い屋根の寺院があった。寺院の内部はがらんとしており、メッカの方向の脇に説教壇があるだけの簡素な建物だ。隣の家の住人によると1日5回の礼拝時間以外は無人という。 寺院の写真を撮っていたら老婆が出てきて誰何(すいか)した。「日本から旅行に来た。フィリピンのイスラム教徒に興味があるのでモスクの写真を撮っている」と答えたら安心した様子で訥々とした英語で語り始めた。
回教徒の老婆から学ぶ正しいイスラム教徒の生き方
パラワン諸島のイスラム教徒は、大昔にボルネオ島など南の島から渡って来て定住した(筆者注:14世紀~15世紀に現在のインドネシアや、マレーシアからイスラム教徒が渡航して15世紀にはミンダナオ島などがイスラム化された)。 海辺のイスラム教徒は漁業を主な生業として生きてきた。さらに近年はミンダナオ島などから過激派の武装闘争を嫌って逃げてきたイスラム教徒がパラワン島に多数定住した。 老婆によるとイスラム武装集団は活動資金・食糧を得るために、頻繁にイスラム教徒住民から喜捨として金品・農産物を強要し、しばしば暴力沙汰になったという。筆者がルソン島山岳地帯のサガダで聞いた、1970年代の共産系の新人民軍(NPA)の資金・食糧調達の手段と全く同じである。 ミンダナオ島やスールー海で爆弾テロや誘拐事件を起こしている武装組織はイスラムの名前を騙る偽物であり、“本物のイスラム教徒”はパラワン島のイスラム教徒のように平和に暮らしていると老婆は強調した。
海上集落からボルネオ島までは一衣帯水
老婆に聞いた近道を辿り海岸線に出た。海岸線に沿って木造の水上家屋が密集して海上集落を形成している。これでは火事が発生したら延焼して集落が全滅するはずだ。 老婆によると海上集落の住民は全てイスラム教徒であるという。移住してきたイスラム教徒は耕す土地がないから海上部落に住んで漁業で生計を立てるという背景が腑に落ちた。 老婆の話を聞いて8年前のボルネオ島での見聞を思い出した。(2018/02/04の記事参照『1億の人口の10%が海外で出稼ぎする陽気でタフなフィリピーノ』)サバ州管区海上警察の司令官によると、同管区の喫緊の問題はイスラム過激派の取締りだった。マレーシア漁民や観光客を誘拐して身代金を要求する海賊行為だ。ボルネオ島からスールー海を挟んで東側のホロ諸島、バシラン島がアブ・サヤフの根拠地なのだ。 そして、スールー海の西側を囲むのがパラワン諸島だ。ボルネオ島の中心都市コタキナバルの対岸の小島にフィリピン系漁民の海上集落がある。そしてボルネオ島北部沿岸住民はフィリピン南部と同族であり言語や稲作技術を共有しているという。 ボルネオ島とパラワン島の二つのイスラム教社会は一衣帯水であることをプエルト・プリンセサの海上集落からスールー海を眺めながら実感した。 以上 次回に続く
高野凌