パラオ共和国:南太平洋の楽園から戦後80年の平和への誓い
1944年9月のペリリュー侵攻「ステールメートII作戦」開始から80年目の記念日である2024年9月15日の数日前、元航空自衛隊の市原直さん(76)は島にやってきた。日本戦没者遺骨収集推進協会(JARRWC)のチームの一員として、ジャングルやマングローブの湿地帯で戦死した旧日本軍兵士の遺骨収集に参加するためだ。JARRWCは、先の大戦における日本兵の遺骨を日本に送還する事業を厚生労働省から委託されている。 市原さんは、ペリリュー島南西のアンガウル島近くの戦闘で重傷を負い米兵に助けられた日本兵が書いた本を読んで、戦死した兵士の遺骨を探し出し送還する手助けをしたいと思うようになった。
「約1万人の日本兵がペリリュー島で亡くなりました。その遺族は、自分の息子や兄弟、夫に何が起こったのか、いまだにわからないのです」と言う。「彼らの愛する人を故郷に帰す手助けをしたいのです」。まだ多くの人がここペリリュー島に眠っている。 激戦地ブラッディー・ノーズ・リッジとして知られる東側のジャングルで、JARRWCチームは遺骨取集のための掘削作業をした。地表から1メートル足らずのところで最初の遺骨が発見され、頭蓋骨、背骨、骨盤に続いて、腕と脚がすぐに見つかった。 それぞれの位置が注意深く記録され、写真に撮られた後、個々の骨を砂ぼこりの舞う土から慎重に取り出す作業が始まる。遺骨は日本に戻され、うまくいけば、高度なDNA検査技術を使って、家族から提供されたサンプルと比較の上、身元が確認できるかもしれない。
米国の記録によれば、ペリリュー島で戦闘が続いている間にも、米軍によって1086体の遺体が島の集団墓地に埋められたという。数年にわたる捜索の後、それらしき場所が発見されたのが2023年。今回は、その現場から最初の遺骨を収容した。そして間もなく、さらに2体の遺骨が地中から姿を現した。足元には、さらに1000体以上が横たわっていると考えられている。