パラオ共和国:南太平洋の楽園から戦後80年の平和への誓い
強い絆
戦後数十年、日本はパラオの発展に尽力してきた。コロール市のメインストリート沿いには、日本の資金援助で建設された水道システムの完成を記念する石碑があり、世界遺産のロックアイランドにある「クラゲの湖」に向かう観光船のドックには、日本の援助で建設されたことを示す横断幕が掲げられている。また、鮮やかな黄色のスクールバスには、パラオと日本の国旗が握手するイラストが描かれているし、コロール港に係留されている沿岸警備艇には、日本財団からパラオに寄贈された旨のメッセージも記されている。
ペリリュー島南部の国立公園の元レンジャー、68歳のティモシー・ルルさんの父は、戦前、日本人と一緒に働いていた。当時の日本人のことを楽しそうに語る父の姿は今でも鮮明によく覚えている。「父が出会った日本人はみな親切で、現地の人々に危害を加えるようなことはなかったと言っていました。日本の人たちが望んでいたのは、ビジネスを立ち上げて生計を立てることだったのです」
しかし、今から80年前の1944年9月、戦争がペリリュー島を襲い、静かでのんびりとした島のライフスタイルが一変した。1万人以上の旧日本兵が、米国の侵攻を食い止めようとして命を落とした。「戦争がなかったら、この島はいまだに日本の一部だったかもしれません」とルルさんは言う。
「戦後、島は荒廃していました。1946年に島民が戻ってきた時、ゼロからやり直さなければならなかったのです。どこを掘っても地表から60センチほど下に黒い灰の層があって、作物を栽培するのは困難だったのです」 「しかし戦争は終わり、今、日本政府はパラオの再建を支援してくれています。私たちにとって必要なことは、未来に目を向けることでもあるのです」
遺骨収集への支援
2015年4月、当時の天皇陛下と皇后美智子さまは、終戦70周年にペリリュー島を訪れ、慰霊碑に祈りと献花をささげ戦争犠牲者を悼んだ。戦時中、1万人以上の死者に加え、一部の兵士は捕虜となり、さらに34人の兵士は1947年4月まで、日本が20カ月前に第2次世界大戦に降伏していたことを知らずに、密林の中に隠れていた。