愛された42歳ラグビー元W杯戦士・大野均が引退会見「OB廣瀬俊朗氏みたいな俳優業?オファーがあれば考えます」
ラグビー元日本代表の名ロックとして歴代最多キャップ「98」を誇る大野均氏(42、東芝)が22日、WEBにて引退会見を行った。福島県の日大工学部からラグビーを始めた大野は、ワールドカップを3大会経験。「灰になってもまだ燃える」をポリシーに東芝で19年間プレーを続けてきたが、昨年末から両膝の故障が走れないほどに悪化。加えて日本代表、東芝で若手が台頭してきたため「後輩を頼もしく感じて踏ん切りがついた。選手としてやり残したことはない」との理由で引退を決意した。チームメイト、スタッフ、応援してくれたファン、特に故郷の福島や地元府中の人たちへの感謝の言葉を重ねた大野氏。今後については、東芝ブレイブルーパスのサポート、ラグビーの普及活動を含め「自分ができること、自分にしかできない道を見つけて日本ラグビー界に貢献したい」と語った。 以下、オンライン引退会見での主な一問一答。
悪化した両膝。2、3歩で走れなくなった
――引退を決断した理由は? 「『灰になってもまだ燃える』が信条だったが、1年前に膝(両膝)に痛みが出て、昨年末から長い間、別メニューで治療をしながら調整したが、回復が見られず、ワールドカップでの日本代表の躍進、東芝の若い選手の台頭が見られ、頼もしく感じ、これ以上やり残したことはないと感じて引退を決意した」 ――いつ踏ん切りを? 「1月からトップリーグが開幕し漠然と『今シーズンが最後になるかな』とシーズンを過ごした。新型コロナの影響でグラウンドでの練習が難しくなり、個人調整が続く中、ふと朝、起きて『走れるかな』と外に出たが、2、3歩走っただけで(両膝が)痛くなって、ここが潮時かなと感じた。誰かに相談をすることもなく迷いはなかった。自分自身の体と向きあったときに限界かなと」 ――歴代最多キャップ「98」。印象に残っている代表の試合は? 「桜のジャージを着たすべての試合が印象に残っている。強いて言うなら2015年の南アフリカのワールドカップもそうだが、2013年(6月15日)に秩父宮でウェールズに勝った試合(23対8)。2004年の欧州遠征では100点差で負け(0対98)、その当時は、9年後の秩父宮で勝てるとか、こういう試合ができるとか思ってもみなかった。先発で出てノーサイドの瞬間はベンチにいたが、ほぼ勝ちを手中に収めたときに涙が出てグラウンドが見えなかったことを覚えている」