「私の取材が差別を生むのか」偏見の先に見えたデカセギ外国人2世の生き方
また池上氏が2014年に東新町団地で行った調査では、対象となった日系ブラジル人世帯の大半で、非正規・間接雇用による工場労働に従事していることが分かったという。一方で、「自分たちの子どもに、親と同じ仕事に就いて欲しいか」という問いに対しては、工場労働で働く親の100%が、「同じ仕事には就いて欲しくない」と答え、「専門生のある仕事」「事務職」「販売」等の仕事を、望んでいることが分かったという。 現在日本に残った日系ブラジル人世帯の大半は、就学中の子どもがおり、突然のブラジル帰国を子どもたちが望まなかったケースや、そもそもポルトガル語の習得や現地への順応に不安があり、日本での生活を希望した人たちなどだ。 繰り返すが、彼らの来日のきっかけは、金を稼ぐ「デカセギ」だ。しかし、多くの外国人定住者が帰国したリーマンショックや東日本大震災を経ても日本に残る選択をした彼らは、「家族」が居ることを理由に、日本での生活を継続している。こうした背景から、池上氏は「日系ブラジル人の永住化志向が強くなっている」と指摘している。 池上教授はさらに次のように付け加えた。 「今までに無かったことが始まっています。親に連れてこられて日本に住むことになった、移住第2世代と呼ばれる日系4世の若者が、ここ数年で学校教育を終え、社会に羽ばたこうとしています。彼らの一部が、宮城ユキミや田中琢問のように大学まで進学し、自らの境遇や同胞の抱える課題を日本語で発信し解決しようと、自分たちで行動をはじめたんです。彼らのような学生は一握りかもしれないが、わたしは彼らに光を当てたいと思うんです。彼らの存在が、日系ブラジル人を取り巻く環境を変えるトリガーになるかもしれない」
ようやく気づいた過ち
わたしはようやく、取材者としての自分の「過ち」にたどり着いた気がした。日系ブラジル人社会の現実を紐解きたいと考え、「日系ブラジル人暴走族」というビビッドな題材をテーマに据え、この問題に切り込もうとしたが、根底には怖い物見たさの野次馬意識と日系ブラジル人に対する先入観があったように思う。 振り返れば、最初の取材者である鶴田俊美さんから「あなたの取材こそ、差別を増長させているんじゃないか」と指摘され、混乱と憤慨した気持ちを抱いて取材をスタートさせた。しかし、わたしは行けども行けども、周囲に鋭い威嚇の目を向けるブラジル人暴走族には出会うことが出来なかった。 むしろ途中から、わたし自身の取材対象への意識が変わって行ったことも大きい。目の前に現れた日系ブラジル人の若者たちは、周囲の偏見や厳しい環境を真摯に受け止め、たくましく生き抜こうとする姿が印象的だった。 彼らの生き様に触れたいまなら、鶴田さんが意を決してわたしに向けた言葉の真意を、理解することが出来る。そして、わたし自身が迷走した結果、偶然にも鶴田さんが最初に示していた本質に少しだけ触れることができたかもしれない。 そこには、「無関心」と「先入観」により埋もれてしまっていた、日系ブラジル人の若者の姿があった。ブラジル人としてのルーツを大切にしながらも、日本での永住を志し、積極的な社会参加を目指す若者たちの「意識の変化」と、言語的・文化的なバランス感覚を発揮する「優れた才能」の二つだ。 労働力不足を補うため、積極的に外国人定住者による労働力確保を目指すといわれる日本。数年後、われわれが身近に経験するであろう出来事が、ここ浜松ではすでに起こっている。わたしは、「外国人定住者」がいまよりももっと身近な存在になる社会が到来したとしても、身構えること無く一人の隣人として接して行きたいとおもう。 (この記事はジャーナリストキャンプ2015浜松の作品です。執筆:岸田浩和、デスク:藤井誠二)