30年の挑戦がついに結実。JLOC則竹功雄監督もGT300王座に万感「『ランボルギーニで勝ってやろう』という思いが突き動かしてくれた」
12月8日、三重県の鈴鹿サーキットで行われた2024年スーパーGT第5戦『SUZUKA GT 300km RACE GRAND FINAL』の決勝レース。GT300クラスでは、小暮卓史/元嶋佑弥組VENTENY Lamborghini GT3が優勝を飾り、見事逆転で2024年のチャンピオンを獲得した。チームにとっても30年目の悲願達成となり、JLOC監督で、ジャパン・ランボルギーニ・オーナーズ・クラブ会長の則竹功雄監督に思いを聞いた。 【チャンピオン獲得を喜ぶ小暮卓史と元嶋佑弥】 JLOCは、ジャパン・ランボルギーニ・オーナーズ・クラブの有志により、スーパーGTの前身であるJGTC全日本GT選手権の初年度となる1994年から参戦を開始した。車両はスーパーカーブームの中でも最も注目を集めていたランボルギーニ・カウンタック。ノーマルを改造した車両を用い、後にGT500クラスとなるGT1クラスに挑戦を開始した。 チームはディアブロ・イオタ、ディアブロGT-1、JGTC専用に作られたディアブロJGT-1、さらにムルシェラゴRG-1といった車両を投入しGT1/GT500クラスで国産車を相手に戦ってきたが、2006年からはGT300クラスに転向。その後もガイヤルドRG-3などオリジナル車両を投入したが、2012年にガイヤルドGT3にスイッチ。2016年からはウラカンGT3に変更しシリーズを戦ってきた。JGTC/スーパーGT同様、実に30年の挑戦の歴史を紡いできたチームであり、そのチームを率いてきたのがJLOC会長である則竹監督だった。 ウラカンGT3、そしてウラカンGT3エボにスイッチしてもなかなかランキングトップ3には届かなかったJLOCだが、2024年、ついにその悲願に手が届いた。2019年からコンビを組んできた小暮と元嶋がなんとシーズンの半分となる4勝を記録。最終戦でもランキング首位だったLEON PYRAMID AMGが有利な状況だったが、ポール・トゥ・ウインという圧倒的な結果で見事逆転チャンピオンを成し遂げた。 レース後、チームが喜びに沸くなか則竹監督に聞くと「まさか勝てるとは思わなかったですよ。第1戦岡山では2号車が優勝して『チャンピオンは難しいかも』と思いましたけど、第2戦富士でポール・トゥ・ウインができたことで、良い意味で流れが変わったと思います」と振り返った。 さらに、則竹監督はいくつかのチャンピオンの“要因”を語った。まず挙げたのは、第5戦鈴鹿が12月に延期されたことだ。本来であれば8月31日~9月1日に予定されていたレースで、自然吸気のウラカンGT3エボIIは暑さのなかでは「本来のパフォーマンスが出せないはずだった」という。 そして「ウラカンGT3エボIIになり、小暮選手も元嶋選手も確実にポテンシャルは上がっていると言っています。そして、あとはチーム体制が大きいですね。伊与木仁エンジニアが加わって、エンジニアとメカニック、ドライバーの信頼関係の密度が大きくなったと思います」と続けた。 「レースは団体競技なんだと改めて感じましたよね。もちろんスーパースターなのはドライバーなのですが、それを支えるのはやはり、社会一般でもそうであるように、団体なのだと思います」 ■ランボルギーニ本体を動かした挑戦が結実 こうして話を聞いているなかでも、則竹監督は嬉しそうに語りつつも、決して感極まるという様子ではなかった。「本当の喜びはこれから来るんだと思います」と則竹監督は言う。 「1994年にカウンタックで出たときから『いつかランボルギーニで勝ってやろう』と抱いてきた思いが、ここまで僕を突き動かしてくれたと思います。ランボルギーニで勝つことが僕には価値がありましたし、勝つというだけなら、いろんな方から提案を受けて、いろんな選択肢もありましたけど、それでは僕がレースをやる意味はないと思っていました」 「もちろん自己満足の世界かもしれませんが、今日『良かったな』と改めて思っています」 カウンタックでスタートさせたJGTCへの挑戦は、当時は世界的にも希有なトライだった。しかし、その挑戦がイタリアのランボルギーニ本体を動かし、レース専用マシンを生み出し、GT3活動にも繋がっていった。 「ジョルジオ・サンナからはもう『おめでとう!』とメールが来ましたよ(笑)」と則竹監督。サンナは2015年からランボルギーニ・スクアドラ・コルセでモータースポーツ代表として活躍し、2024年3月に退職したものの、ランボルギーニのモータースポーツ活動を率い、ウラカンGT3を送り出した人物でもある。 「2015年に、サンナから『ノリタケ、ようやく俺たちランボルギーニがダラーラと本物のレーシングカーを作るから待っておけ。2016年は絶対に勝てよ』と言われていたんです。それがようやく実現できました」 「それまでは自分たちで作ったり、サテライトで作ったりと長いことやってきましたが、ランボルギーニ本体がダラーラと作ったのがこのウラカンなんです」 JGTCに参戦してから30年。ランボルギーニとともに、ついにつかんだチャンピオンの座。則竹監督は、この王座を鈴鹿で決めたこともまた感慨深いという。 「縁がありますよね。初めてGT300で勝ったのがマルコ・アピチェラと桧井保孝で、2006年のこの鈴鹿だったんです。僕は愛知県生まれで、鈴鹿は地元のレースでもありますから。やはり縁なんでしょうね」 「これからテメラリオ(2026年に向けてリリースが予定されているランボルギーニの新GT3カー)もありますから。楽しみにしていてください」とチームメンバーの笑顔があふれた鈴鹿のピットで、則竹監督もまた笑顔で語った。 [オートスポーツweb 2024年12月08日]