メッシ、クリロナを生んだ、2025年は「サッカー革命」100周年(3)新システムで「無敵化した」アーセナル、欧州とは違う「ルートで発展」のブラジル、日本初は
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は「3人と2人じゃ大違い」。あるルールの変更で、サッカーが世界中で愛されるスポーツになったという。もしかしたら、ペレも、マラドーナも、メッシも、クリロナも、そしてエムバぺも、ヤマルもサッカーをやっていなかった可能性すらある、意外と知らない「サッカーの大革命」にスポットを当てる! ■【画像】サッカーに革命をもたらした「変更」と【図解】「革命前」と「革命後」のオフサイドライン
■リーグ2連覇のアイデアマンが「終止符」
この後、サッカー界はしばらく混乱し、得点数の多いリーグが続く。その混乱に終止符を打ったのは、1925年夏にアーセナルの監督に就任したハーバート・チャップマン(1878-1934)だった。ハダーズフィールド・タウンでチームディフェンスを徹底させ、「革命前」にイングランド・リーグ2連覇を達成したチャップマンは、ホームスタジアム最寄りの地下鉄駅の駅名を「アーセナル」と変えるなどのアイデアマンだったが、もちろん、戦術面のアイデアも豊富だった。 チャップマンは就任と同時にサンダーランドでプレーしていたFWチャールズ・バッカンを獲得。バッカンは最初のシーズンで19ゴールを挙げて前年20位だったアーセナルの2位躍進に貢献した。もっともリーグ得点王は、「革命」後の守備の混乱のなか、新記録の43ゴールを決めたブラックバーン・ローバーズのエドワード(テッド)・ハーパーだった。ちなみに、ブラックバーンのシーズン総得点は59で、最終順位は12位。ハーパーは1人でクラブの総得点の4分の3近くを記録したことになる。
■センターバックの「新たな役割」とは…
しかし、バッカンの貢献は、19ゴールにとどまるものではなかった。「革命後」の守備の混乱のなかでプレーしながら、彼は「センターハーフの役割を変えたらいいのではないか」と考えていた。そこでチャップマンに相談した。チャップマンはその発想に大きなヒントを得て、センターバックをこれまでの「中盤の王者」の仕事から解き放ち、「センターフォワード・ストッパー」の役割を専門に担わせることにしたのだ。 「センターハーフ」を2人の「フルバック」の間に下げ、同時にFWのひとり(インサイドライト)に「ハーフバック」の役割を担わせる。いわば「3-3-4」システムである。そして、それをさらに発展させ、FWの1人(インサイドレフト)も中盤に引かせ、2人の「ハーフバック」と2人の「インサイドフォワード」で「2-2」のラインをつくって中盤を強化する。必然的にフォワードは両ウイングとセンターフォワードの3人となる。「WMシステム」の誕生である。 このシステムを引っ提げてアーセナルは1930年代には無敵のチームとなり、3連覇を含む5回のリーグ優勝を遂げる。アーセナルの快進撃とともに他のチームもWMシステムを採用するようになり、守備の人数と攻撃の人数が完全に釣り合った(全選手が互いにマンマークをする)WMシステムは欧州のサッカーを席巻することになる。
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