脳梗塞で倒れた夫のため、自宅介護ができるよう分譲団地を改装。自分も脳梗塞、乳がんと診断されながら、声楽家の活動は続けて
◆快適なシングル住まい そんな彼女を支えていたのは、音楽への情熱だ。大阪音楽大学を出てプロの声楽家になった服部さんは、子育てや海外生活の間にも研鑽を重ね、リサイタルを開くなどソプラノ歌手として活動を続けてきた。リビングの隣に作った防音室がレッスンの場。夫の介護中も、ベッドの様子が見えるカメラをグランドピアノの上に置いて練習した。 最近、服部さんは新たな挑戦を始めたところだ。今年11月に開催予定の、男声合唱コンサートの準備に取りかかっている。そもそもの始まりは15年前。 「三男の同級生のお母さんが公民館の館長さんで、『リタイアして家にいる男性陣を外へ引っ張りだすために何かしてくれない?』と頼まれて。それで未経験のおじさま20名ばかりを集めて、合唱団を結成したんです」 服部さんの確かな指導もあって、メンバーは40名ほどに倍増し、地域では知る人ぞ知る合唱団へ成長した。そしてメンバーの働きかけにより、結成15周年コンサートをすることになったという。現在、服部さんは顧問となり、歌のレッスンのほか、一部指導もしている。 「みなさん熱心なのはいいのですが、『曲をそれぞれの言語で歌いたい』とおっしゃって。ドイツ語、ロシア語、英語、フィンランド語、日本語の歌詞の楽譜を取り寄せたり、歌いやすいように書き直したり。私ったら病み上がりなのにもう……能天気ですねえ」と苦笑い。 じつは68歳で舌白板症(口腔内の角化性病変)、翌年に脳梗塞、その翌年に乳がん、さらに72歳で褐色細胞腫(副腎髄質から発症する腫瘍)と、立て続けに病気に見舞われてきた。
「レッスン中に私が脳梗塞を起こしたときは、生徒さんがすぐ病院へ連れていってくれて大事に至らずにすみました。乳がんの手術後に右手がパンパンに腫れたときは、接骨院の方がリンパの滞りが原因だと気づいてくれて。周りの人に恵まれていて、感謝しかありません」 手術で体が弱っていた服部さんにとって、バリアフリーの床や手すりが大いに役立った。 「わが家は1階なのですが、床に断熱材を入れたおかげで底冷えしなくなりました。夫のためのリフォームでしたが、自分の健康にも役立っています」 かつて介護ベッドのあった広いリビングには、大きなダイニングテーブルがあり、明るい窓辺には鉢植えが置かれている。時々息子たちと食事をともにするのも楽しみのひとつだ。 「いまは食器棚と食卓の動線が悪いので思案中(笑)。新しく買った家具はなく、すべて再利用。お茶類を入れる台所の棚は息子の2段ベッドの引き出しでした。テーブルも息子が作ったもの。何かほしくなっても、『どこに置くの?』から始めるので、結局買うことができません(笑)」 ものを増やさないために、デジタル機器も活用しているとか。アルバムの写真は、時間があるときにパソコンに取り込む。 「パソコンの使い方などは詳しい知り合いに教わって。音楽はスマートスピーカーで聴いています。スマホで語学アプリの《Duolingo(デュオリンゴ)》を使って、ゲーム感覚で英語学習を始めたらハマってしまって。でも、しゃべるのに喉を使いすぎてやめました」 現在、少し心配しているのが声の調子というが、「そこも私は能天気ですから、積み重ねてきた経験とスキルでどうにかならないか、と工夫しています。試行錯誤するのが面白くて」。 そうして日々練習を重ねながら、今後の目標にしているのが、作曲家・山田耕筰が残した童謡100曲から隠れた名曲をピックアップしてリサイタルで歌うことだという。 「あの時代の童謡は素晴らしいんです。懐かしい情景を歌に込めて、いつかみなさんにお届けする日を楽しみにしています」 ***** 仕事を離れても、介護や病気で休むことがあっても、年齢にとらわれず、「自分にいまできること、自分がしたいこと」をとにかく始めてみる。山下さんと服部さんの軽やかな挑戦に、たくさんの勇気をもらった。 (撮影=藤澤靖子)
山田真理
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