長嶋監督に暴言浴びせた“地獄の伊東キャンプ”…篠塚和典氏が語るミスターとの師弟関係「ノックで監督に向かってボールを投げた」
いきなり呼ばれた一軍で
篠塚氏はプロ2年目の昭和52年に初めて一軍に昇格。初出場は8月5日の大洋戦だった。 篠塚: 僕は北海道に遠征してて、土井(正三)さんがケガしたんですよ。で、急きょ一軍が試合する川崎球場に呼ばれた。でも、初めてじゃないですか。どこに荷物置いていいか、どういうふうにしていいか全く分からないわけですよ。 徳光: なるほど。 篠塚: 最初に声をかけてくれたのが張本(勲)さんだったんです。あいさつして、「今日からよろしくお願いします」。「頑張れよ」って。 そのあと、ミスターに呼ばれて、「今日、先発行くよ」って言われて、また緊張。まさか先発だとは思わないじゃないですか。 徳光: そうですよね。 篠塚: 向こうのピッチャーが新人の斉藤明夫さん。1本センター前に打って、それが初ヒットです。
王氏への送球「思いっきり投げてこい」
徳光: ゴロを捕って一塁の王さんのところへ送球するときはどんな感じでしたか。 篠塚: 二軍時代にも練習で一軍の手伝いに行ったことがあったんですよ。そのとき王さんに投げるのに、やっぱり「いい球を投げなきゃいけない」とびびっちゃうわけですよ。最初に王さんが言ってくれたのは、「たたきつけろ。もっと手を振れ」。びびると、手を振れないじゃないですか。 徳光: そういうものなんだ。 篠塚: 「ボールが上に行ったらノーだけど、下はある程度それても俺は捕れる」って。王さんもすごい気を遣ってくれたと思うんですよね。「とにかく自分の足元かベース板に向けて、思いっきり手を振ってこい」って言われてから、どんなときでも、腕を振れるようになったんですよ。
長嶋監督と戦った“地獄の伊東キャンプ”
徳光: 長嶋さんに「3年間は下でやれ」って言われたことで、その年数は意識したでしょう。 篠塚: そうですね。だから、「4年目くらいからは」っていう思いでいて、それまでに体力をつけて、強い体を作ってきたつもりだったんですけど、いきなり伊東キャンプが…。これがやっぱりすごく大きかったですね。 徳光: それは4年目の終わりですか。 篠塚: 終わりです。秋です。 徳光: あれは、突然決まったんですかね。 篠塚: いつごろだろうな、結構近くなってからですよね。「何かやるらしいぞ」って。でも、キャンプっていうのは頭になかったです。当時は秋のキャンプってなかったじゃないですか。今までなかったわけですから。 徳光: 普通はなかったですからね。僕も見に行きましたけど、あれはすごかったですね。 昭和54年の秋、巨人は若手選手を集めて静岡県伊東市で約1カ月間のキャンプを行った。その練習内容があまりにハードだったため、のちに“地獄の伊東キャンプ”と呼ばれるようになった。篠塚氏のほかに江川卓氏、西本聖氏、鹿取義隆氏、角三男氏、山倉和博氏、中畑清氏、松本匡史氏など、後のジャイアンツの中心選手となるメンバーが参加した。 徳光: こんなに練習したことはなかったっていうほどの練習でしょう。 篠塚: でしたね。丸1日ですからね。朝9時半くらいからアップして、アップが終わったら打つか守るか。特守をするか、ずっとバット振ってるか。それを午前と午後で入れ替えて。 徳光: ミスターもくまなく動いて、自分でノックもしてたじゃないですか。 篠塚: してました。やっぱり内野手には結構ね…、けんかノックじゃないですけど。疲れてきたところに、とんでもないところ打たれると、カーッとするのよ。 特守ってだんだん前に行くんですよ、近くに行けば守備範囲が狭くなるから。前に前に行って近くなってきてから、ボールをノッカー目がけて投げるの。そうするとノッカーがのるんですよ。 徳光: 長嶋さん目がけてボールを投げつける。それに、長嶋さんに罵声も浴びせてましたよね。 篠塚: もうため口みたいなもんで、「どこ打ってんだ、この野郎」とか、平気で言ってましたよ。「捕れるとこ打て」とか、「代わりに受けてみろ」とか。 徳光: ミスターも、そういうふうに言われたほうが、むしろのってくる感じでしたよね。 篠塚: 言った言葉は悪いんですけど、結局それに対しての反応を見てる。親近感というか、向こうがのってくれると、こっちものってく。 徳光: 夜は皆さん、どんな感じだったんですか。 篠塚: ミーティングがありましたからね。シーズンの反省みたいなものです。ただ、やっぱりみんな聞けないですよ。疲れ切っちゃって、大体寝てますよ。 徳光: そうでしょうね。それほどまでにすごかったんですよね。
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