【書評】自由な“空間”の面白さ:藤森照信+はな著『ニッポン茶室ジャーニー』
自ら設計し「茶室は自由」を演出
二人旅の最後は藤森氏の故郷、長野県茅野市にあるフジモリ茶室群だった。はしごで昇る四畳半の「五庵(ごあん)」、ワイヤーで吊られ、地上約3.5メートルに浮かんでいる「空飛ぶ泥舟(そらとぶどろぶね)」など4棟が同じエリアにある。テーブル席も設けるなど、藤森氏が自由な発想で設計した21世紀の茶室といえる。 茶室の広さはずっと「二畳」だったわけではない。有楽斎は利休の弟子でありながら「二畳半、一畳半などは客を苦しめるに似たり」と、いたずらに極小化することを戒めたという。本書に登場する茶室も四畳など広さやレイアウトは様々だ。 はなさんは茶室“行脚”を終え、本書でこう綴っている。 目の前にある一服のお茶に集中できるように設計された千利休の待庵から、どこまで茶室は進化していくのか。はたまた、また利休の思想に戻っていくのか。茶室が辿る道を藤森先生と一緒に旅することができたのは、茶の湯の世界を知るための大きな一歩でした。
茶室の炉は縄文時代の血を引く
藤森氏は「茶室の勘所は火にある」と見抜いた。利休が考え出した茶室には、炭火を入れる「炉(ろ)」が必ずある。藤森氏は日本の住宅史と茶室との関係を独自の視点で解き明かす。 「縄文時代の竪穴式住居の血を受け継ぐ民家にあっては火は常に住宅の中核であり続け、人々は火を操って煮炊きし、火を囲んで憩っていた。一方、縄文時代に続く弥生時代の高床式住居に起源をもつ床を張った寝殿造、書院造の住宅では、火は家の中心から離れた土間で専ら使用人が扱う格の低い存在でしかなかった。茶の世界でも、主人ではなく使用人が別室で点てて茶の場に運び込んでいた。」 「それを利休はひっくり返し、主人が自らの手で火(炭火)を操って茶を点て、客に呈するように変えた。茶室の炉は、火は、住宅史から見ると、縄文時代の竪穴式住居の血を引く。」 利休は茶室という閉じた狭い空間で「文化の下克上」を起こしていたのだ。利休は精神性の高い極めて日本的な「わび茶」を完成させた。しかし、”密室”となる茶室では生臭い政治の密談があったかもしれない。茶室に集うのは当初、男性中心だったが、今では女性も多い。はなさんは本書で「茶室は自由!」と看破している。