【書評】自由な“空間”の面白さ:藤森照信+はな著『ニッポン茶室ジャーニー』
国宝「如庵」は織田信長の実弟作
著者二人が最初に訪ねたのは愛知県犬山市の日本庭園「有楽苑(うらくえん)」にある国宝茶室「如庵(じょあん)」。利休の高弟で、茶の湯の創成期に尾張の国(現愛知県)が生んだ大茶匠、織田有楽斎(1547-1621年)が造った。 戦国時代の武将、織田信長の実弟ながら「あまり戦上手ではなくて、それよりはお茶とか文化の世界が大好きな人でした」と藤森氏。如庵は窓などに様々な工夫が凝らされており、はなさんは「有楽の『面白い』が詰まった茶室」と評している。 如庵は、有楽斎が京都東山の建仁寺正伝院に隠遁(いんとん)して建てた。明治時代に豪商の三井家が買い取ったが、1972年から現在の有楽苑にある。因みに茶室名は有楽斎のキリシタン受洗名「ジョアン」が由来だそうだ。
秀吉ゆかりや風呂付き茶室も現存
利休は天正19年(1591年)に秀吉から切腹を命じられたとされる。その秀吉が築いた伏見城にあった茶室は現在、「時雨亭(しぐれてい)」と「傘亭(からかさてい)」として京都市東山区の高台寺にある。尾張藩家老の別邸に建てられた草庵茶室「捻駕籠席(ねじかごのせき)」は名古屋市にある昭和美術館に移されている。京都府京田辺市にある「虎丘庵(こきゅうあん)」は一休さんで知られる室町時代の禅僧、一休宗純の「終の棲家(ついのすみか)」だった……。 本書に登場する名茶室にまつわる逸話はどれも興味深い。江戸時代前期の石清水八幡宮の僧侶、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)が隠居後に構えた草庵「松花堂」は京都府八幡市にある。昭和8年(1933年)、ここでの茶会に参加した料亭「吉兆」の創業者が四つ切箱を見て、料理の器にしてはどうかと考え、「松花堂弁当」が生まれたエピソードは本書でも紹介されている。 風呂付き茶室も現存している。島根県松江市の「菅田庵(かんでんあん)」は松江藩主で「不昧公(ふまいこう)」と呼ばれた大名茶人、松平治郷(1751-1818年)が家老・有澤家のために建てた茶室だ。焼いた石に水をかけて蒸気を出す蒸し風呂、今で言うサウナが併設されている。