「人間が持っている能力を使い切るには、人生は短い」羽生善治はなぜ勝負を続けるのか
将棋に引き寄せられたのは小学生時代。週末は将棋のクラブに行っていたものの、野球やサッカーをしたり、ラジコンで遊んだりして過ごす“普通の小学生”だった。 「ルービックキューブが流行(はや)ればルービックキューブをやったり、ヨーヨーが流行ればヨーヨーをやったり、そういう感じでした。自分が違う道を歩み始めたと思ったのは、奨励会、プロの養成機関に入るようになってからですかね。学校を休んで将棋のプロを目指すところに行くようになってからです」 12歳で奨励会に入会してからずっと、勝負の世界で生きてきた。しかし羽生は、将棋と共に歩む日々を「安らぎ」と表現する。
「(将棋が)自分なりにいろんなことを考えたりすることの材料、きっかけみたいなものになっていることは間違いないです。ルールも決まってますし、反則もありますし、ある種、そこで一つ完結した世界ではあるので、日常の暮らしとは全く別の世界なんです。そういう違う世界を持っているということに、安らぎがあります」
AI時代に問われるもの
2018年12月、竜王戦で敗れ、27年ぶりに無冠となった。長い将棋人生において、「浮き沈みはやむを得ない」と達観する。 「例えば、アスリートの人たちがこの1、2年で集中してトレーニングをして、ピークを来年の東京五輪に持っていくということはできると思うんです。ただ、そのテンションを何十年は保てない。だから、駄目なときとか集中できないときとか、そういうことがあるのはしようがないっていうふうに割り切らないと、持続するのは難しい。あんまり真面目に、深刻に考え過ぎるのは良くないと思っています」
若い頃から振り返ると、取り組み方は変化しているのだろうか。 「20代の頃は細部まで考えたり検証したりしていましたけど、今は大雑把に、ざっくりこんな感じでいけばいいのかなとか、そういう捉え方です。曖昧さとかゆとりとか、遊びの部分を入れていくほうがいいんじゃないかと思うようになりました」 「ミスをしたくないとか、完璧でありたいと思うこともあるんですけど、ちょっと遊びや揺らぎの部分があるほうが、より自分なりに納得できることが経験則として分かっているので。全部ロジックで完結して仕上がっているものは、意外と完成度が高くないんじゃないかなと思っています。説明できることはマニュアル化できるので、それ以外のところに個性やオリジナリティーが潜んでいるんじゃないかなと」