セレッソ復帰の乾貴士が大久保嘉人との“レジェンド・ホットライン”…古巣に帰り伝えたかったメッセージとは?
マリノスで燻っていた2008年夏。出場機会を求めて期限付き移籍した当時J2のセレッソでMF香川真司(現PAOK)と出会い、あうんのコンビプレーを介して飛躍へのきっかけをつかんだ。完全移籍後の2010シーズンにはJ1で躍動し、翌年夏にはヨーロッパへ旅立ったサッカー人生の転換期にセレッソがあると乾は感謝する。 「自分がプロになって苦しんでいたときに、助けてくれたクラブがセレッソだった。ヨーロッパに10年間いたけど、セレッソの試合結果は常にチェックしていた」 独ブンデスリーガ2部(当時)のボーフムから同1部のアイントラハト・フランクフルトを経て、憧憬の念を抱き続けたスペイン移籍を果たしたのが2015年夏。エイバルからベティス、アラベス、再びエイバルでラ・リーガ1部へ挑んできた軌跡は、2部へ降格したエイバルを退団した今年6月をもっていったん途切れた。 引き続きラ・リーガ1部でプレーできる可能性を模索しながら、シーズンオフに入った乾は、一時帰国してオファーを待った。しかしながら移籍市場に動きがない状況で、今夏を含めて節目節目でオファーを送ってきたセレッソへの復帰を決めた。 長年のラブコールを成就させたセレッソは誠意の証として、ボーフムへ旅立つ前まで乾が背負っていた「7番」を用意していた。しかし、乾があえて選んだのは、いつの日か香川を迎え入れるためにセレッソが空けていた「23番」だった。 理由は2つあった。ボーフムへ移籍したのが23歳になった直後の夏であり、さらには当時のチームメイトで、ピッチを離れても仲がよかったひとつ年上のDF山下達也(現柏レイソル)が長く背負った番号だったからだ。 山下へは連絡を入れて了承を得たことを移籍会見で明かした乾にとって、初心や原点に帰る覚悟と決意が「23番」に込められている。ヨーロッパ、特にスペインでの6年間を「何物にも代え難い経験」と位置づけ、積極的にセレッソの若手選手たちに伝えていきたいと自らの役割を思い描く乾は、同時にこんな思いも明かしている。 「正直なところを言うと、ちょっと元気がないと感じるときがある。自分が在籍していた当時はうるさい選手が大勢いた。その意味でいまはうるさいというか、元気な選手がいない印象を受けるので、そこは自分が担っていけたらと思っています」