「毎年、クマとの闘いです」箱根駅伝10区〈踏切で足止め〉悲運のランナーは今→秋田で消防士に「何があるか分からない」震災、クマ出没…故郷を守る日々
「毎年、クマとの闘いですよ」
「救急隊ですので、クマに襲われて傷だらけになっている方を処置したり、怪我した方を搬送したり……。ここ数年は食べ物がなくて里に降りてくるクマは増えているように感じます。簡単に食べ物が手に入るので覚えてしまうんですよ。山の方でもリンゴ畑や野菜などの農作物を食べてしまうということも多い。今のクマは人を恐れないんですもんね。この辺りは毎年、クマとの闘いですよ」 忘れられない出動もある。2011年3月11日に発生した東日本大震災。鹿角市でも大きな揺れが襲った。田子さんが訥々と振り返る。 「当日は仕事をしていましたが、立っていられないほどの揺れでした。まずは消防車を全部屋外に出さなきゃいけない。幸いにもこのあたりの被害は停電くらいでしたが、テレビを見たら津波の映像が流れてこれは只事ではないぞ、と」
東日本大震災…被災地への緊急出動
翌12日、緊急消防援助隊として隣県の被災地への出動命令が下った。勤務明けの田子さんもそのまま消防車に飛び乗り、約200km先の岩手県宮古市に向かった。民家からの延焼や、津波で流された車が燃えながら漂着するなどして山火事が発生していた。 「まずはホースを持っていって2日間にわたって鎮火にあたりました。その後は行方不明者の捜索。瓦礫の下に埋まっている方、流されている方を集中的に探すという捜索活動でした。発生直後だったので、生存者の救出はできなかったんですけれど……。交代まで4日間、やはり今も忘れられないです」
忘れられない箱根路の大歓声
就職後10年ほどは消防署の駅伝部に所属し、全国の消防本部が集まって行われる「全国消防駅伝」に出場していたという田子さん。何回か区間賞を獲得したが、現在は「ほぼ走ってない。ジョギング程度ですね」と言う。 「箱根駅伝はテレビで見ていますよ。子供たちを一回は連れて行きたいな、って妻とは話しています。休みが合えばね。今はあの頃より沿道の人も多いんでしょうね。当時も凄かったです。走っていると片側の耳だけ聞こえなくなるんです。(観客がいる側から)ずっと応援されているからでしょうね。走り終わった後は、片方だけ耳に蓋をしているような感じでしたよ」
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