絶対に落とせない最終局面「ゾーンに入った」/松山英樹がパリ五輪を語る<後編>
2024年は、松山英樹の復活を印象付けた一年だった。2月「ジェネシス招待」で2年ぶりの優勝を遂げ、プレーオフシリーズ「フェデックスセントジュード選手権」も制した。PGAツアー勝利数をアジア勢最多の10に伸ばし、一時55位まで後退した世界ランキングは6位(12月24日時点)とカムバック。充実したシーズンにあって、8月「パリ五輪」の活躍は燦然と輝く。日本男子ゴルフ界初となる銅メダル獲得を語りつくす。<全2回の後編> 【画像】パリの激闘を厳選画像でプレーバック
こう打てば、曲がらない
最終日のリーダーボードは、まさにメジャーのサンデーバックナインといった様相を呈していた。首位スタートのジョン・ラーム(スペイン)が終盤にトラブルに見舞われ、世界ランキング1位のスコッティ・シェフラーが急浮上。トミー・フリートウッド(英国)のいる最終組のひとつ前を回った松山は同組のロリー・マキロイ(アイルランド)、ニコライ・ホイゴー(デンマーク)とともにメダル戦線に食らいついた。 「もう、金しか目指してないですよ。ただ、崩したら(メダル圏外まで)落ちてしまうというところで崩せない。崩れるわけにはいかない。特に後半の13番からはずっとそういう感じで、伸ばせなかったですけど、1個獲れれば(さらに)上もありましたし、逆に1個崩せばメダルに届かないっていうところで、その難しさはすごくありました」
13番を終えた時点で首位と1打差。「メジャーだったら優勝しか評価されないけど、3位まで評価される」という五輪の特殊事情も決して安心材料にはなり得ない。手が震えるような緊張感がメジャーでくぐり抜けてきた修羅場の数々と重なった。ひとつのミスも許されない状況下、マネジメントからスキを見せずにバーディパットを打ち続けた。 極限まで研ぎ澄まされたのは、最終18番。「最後のティショットだけはゾーンに入ってましたね。絶対に曲がらないだろうって思ってました」。左には池が広がり、右に曲げればペナルティに近いラフが待つ最難関ホールはティイングエリアからの一打がカギを握る。「シェフラーがボギーを打たなければ金のチャンスはなかったですし、100%落としちゃいけない。(そこまでに)いいショット、悪いショットの蓄積があったので、『こう打てば曲がらないだろう』っていう自信がありました」